私の暮らし

発達障害の子供たちと小さくミニマムに暮らしていくのが目標です。

よく泣いています。

今の時代はとても便利で見たいものを見たいときに見ることができます。

私は毎日泣くことにしています。

悲しい曲を聴いて、悲しいドラマをみて。

ティッシュ一箱分くらい泣いたら
心のどこかの淀みがはれて、詰まったものが流れてくようなそんな気持ちになるからです。

いつも誰にも言いたくないし言えないことを抱えてみな生きています。

私はそんな鬱々した日々のなかに自分を置いています。

自分を助ける術がないからです。

私は私を助けられない。
だけど私は私を見捨てない。

泣くことに意味はありません。

泣いてスッキリした気持ちになるだけです。

それでも自分が涙を流せるんだと知ることができます。

いつかのために
だれかのために
私は泣くことができる。
それを確認しているに過ぎません。

いつか私は私を幸せにしてあげたいと思っています。

比べない、そう思っても比べる

そんなものだよね。と思うこの頃。

人と比べても仕方がないなんて
一番わかっているけど一番難しいこと。

誰かと比べていまの自分の立ち位置を知るのに。

誰かより何千歩手前にいようと
私の道を私の思うままにと思いたい。


今の自分が手にしているもの。
それがすべて。
それ以上欲しいなんて思わない。

私はここにいる。
ここが私の場所だ。
誰がなんと言おうと構うものか。

よその誰かは私のためにはけして
泣いてくれない。

よその誰かは私のために時を割いてはくれない。

よその誰かはよその誰かだ。

私は私。
私のために泣いてくれる人を愛し敬おう。


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気にしたら負け。

キラキラしてるように勝手に感じてしまいます。

キラキラしてる毎日はさぞかし素晴らしくて充実していて誰の目にも映えるものかもしれないと思うと私の暮らしは真逆でかといって不幸せなわけではありませんがどこからともなく他者と比べて自分を蔑むいたちごっこからなかなか抜け出せないでいます。


日々に不満があるからなんですね。
きっとね。わたしは。


こうだったらいいのにああだったらいいのにと毎日そんな感じです。


賃貸に住む私にとって部屋の汚れは一大事です。

引っ越す際にどれだけの負担になるか予想もつかないからです。


子供たちは平気でケチャップのついた手で壁を触るし、白い壁に向かってお茶をこぼし茶色に変えます。

戸を開け閉めすれば力が強くて戸ははずれるし
フローリングのうえで平気でトミカを走らせるので傷ができます。

フローリングにシートを敷くと敷いていないところとの境目の色が変わり、カビが生えていたりします。


賃貸に住んでいるだけで私にはストレスしかないのです。

ああ、またここが汚れた、落とさなきゃ。

そんな毎日です。

部屋で快適に暮らす前に部屋をどれだけ傷なく暮らすかが課題。

「おうち時間だいすき」

なんて口が裂けても出てきません(--;)

賃貸に住むとなったら
ある程度腹を決めてかからないとね。

これは主人のよくいうセリフ。

そんな主人の座右の銘
「気にしたら負け」

外野のこと、人のこと、あの人のこと。
言われたこと、されたこと。

イチイチ気にしないよ。
気にしたら、負けなのよ。
だそうです。

多分わたし、ひっくり返っても
たるんだ頬がみっともなく垂れ下がるだけで
現実は何にも変わらないし変えられない。

これは、このままでいい。

そう腹を決めるところも意外と大切なこと。


考えてみたら誰もかれもが芸能人になれるわけじゃないのに似ています。

誰もかれもがインスタグラムでキラキラできるわけじゃないし、インスタグラムから本を出せて有名になるかどうかも一握り。

別世界を垣間見て、わぁすごい。
これでいい。

こんなきれーな家があるんだね。
こんな素敵なファッションしてる人がいるんだね。
それでいい。

キラキラに憧れるって
わたし、どんだけキラキラ欲しているのでしょうか。

くすんでるな、うん。
光ってはいません。

光ってはいませんが
不幸せではありません。

そこはかとなく暮らしています。

今の私を憂いたら
主人に失礼です。

気にしたら負け。

だから気にしない。




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それはある日突然に。

それはある日突然やってきました。

あれ?

ガミガミ言ってもないのに息子が宿題を終えて一息ついています。

あれ?


わたし、宿題をやるのはいつ?とも聞いていません。


不思議なことだ、そう思いました。


これが発達、ということなのかなとも思いました。


ずっとずっとずっとずっとずっと、口酸っぱくしてもう酸っぱくなりすぎて下唇がどうにかなりそうなくらい言ってきたのに


言わなくても終える日が来たのです。
これは驚きとしかいいようがありません。


出来ないことをどうにかして出来るようにサポートしたいと思いながらその思いは空回りしてきたのです。


彼にとって宿題は一日の一大イベントといっても過言ではありません。


しつこく声をかけいやがられうざがられ
「やればいーんでしょ!やりますとも!」
と何故か逆ギレされる日々でした。

そんななかですよ?
ふと見たら、息子は一息ついているのです。

ほんとに、それはあーリラックスしてるってこういうことね、ってくらいリラックスしてそこにいるのです。


しゅくだ、といいかけて

終わってるから!

えーとえー?

終わったってまじで?

まじよ、大まじ。

見たら終わっています。

母さんびっくり。


こんな日が来るなんて母さん驚いて声も出やしない。


息子よ、君はやっぱりすごいよ。


自分で切り替えて取り組めて。
やるべきことを終わらせることができて。

集中。なんて言葉無縁だって息子よごめんな、思ってたよ、母さん。

できるじゃん、すげーじゃん!


それはある日、突然にやってきました。


子供が持つ力。
それは計り知れない。


発達障害だって、発達し続けていく。


人より少し早かろうが遅かろうが
なんだろうが
彼なりに発達している。


それがわかったことで、私がほんとに彼にしてやれることなんてほんとに僅かなんだと思えました。


親が子を育てるなんてあまりにおこがましい。


こどもはその身をもってして
生きること、成長することを体現してくれてる。


こうやって、人はより人になっていくのだと。


こうやって、彼は彼になっていくのだと。


ありがとう、母さんは何にも見えてなかった。


君のことをずぅっと長いこと見てきた気になっていただけでしたね。

君は君のペースでちゃんと少しずつ生きて
成長させてきたのですね、自分を。


母さんはこれまで出来ないことに腹をたて
心無い言葉をいくつもいくつも君に投げ掛けました。


君はあの時、本当はどう思っていたのかなあ。



きっとすごく君を傷付けてきたんだよね。

だから君は

僕なんか生まれてこなければよかった


と言わせてしまったんだ。


どうして母さんは君をちゃんと信じきれなかったんだろう。

どうして母さんは君をちゃんと見つめてこなかったんだろう。


こんな母さんでごめん。

そしてこんな母さんの息子でいてくれて
ありがとう。


君に選ばれた理由を改めて考えます。

これから先も共に暮らして生きていきましょう。
いつもありがとう。


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イラッとしたらものを捨てるとき。


明日がごみの日なので改めて家探しをしていました。

直感でポイポイごみ袋に捨てていきます。

何故かとってあったちょい洒落たお店の紙袋や包んでた紙やいつのよ?とぶちギレたくなるほど前の調味料の類い。

もうない、捨てるものなんて何もない!なんて
我が家に限っては絶対にあり得ないのです。

イラっとするということは
何かしらモノが増えて片付けの手間や管理の手間や使いづらさがあるはずなんです。

いつも通りの朝なのに何かしらうまくいかない。
いつも通りの日なのにイライラしてたまらない。


そういうとき、私は
あぁこれはまた増えたね。
と捨てるものを探します。

生きているうちに新鮮で鮮やかにみえたものは色褪せるものだし、必要だったものがそうじゃなくなることも多々ある。

そういうものって直感でいるよ、これと思ったものが私は多いのです。
何の理由もなく買って、何の理由もなくこれいるよ、と思うものは必ずや後でこうして色褪せているなくなるんです。

直感で欲しいこれ、と思ったものは買わない。
これが最近自分に課したルールでもあります。

なんとなくとってあるもの、とっておく必要はあんまりないけどいつかいるかもしれないもの。
でも正直なくてもいいやと思うものは捨てたほうが正解。
あくまで私の場合です。

いまはスーパーもあるし24時間してるお店もそれなりにあります。

どうしても必要ならなんとかできます。
そのときに、買えばいい。

私は物覚えがよくありません。
なので一度奥深くしまったものは日の目をみません。

だから家探しをするたび、これなに?なんでとってるんだろう?そんなものがわんさかあるのです。

イラっときたら家探しをおすすめします。

うちからひとつずつそういうものがなくなると
イライラしてたのが収まってきます。

そこに何があるかわかるようになったことと、いらないものを確実に捨て去ったことで楽になります。

細々したものを捨てると45Lの袋にいっぱいになりました。

これだけのものをなんとなく買い、こうしてまた捨てるのです。
実にもったいないことをしています。

最近私は服を捨てすぎて着るものに困るようになりました。

でもそれはそれで私には楽さをもたらしました。


今着れる服がこれしかないことでコーディネートに悩みません。
悩む余地がないからです。

しこたま困り果てると袖をまくり、裾を折り、どうしかして暑さをしのごうと考えます。

暑いのと服が無いのとで週4で同じパンツをはいています。

人の目?全く気になりません。
この暑さでイチイチ人も見ていないだろうし
同じパンツをはいているから、え?それがなにか?
くらいにしか感じなくなってきたからです。

鈍感になります。

だって本音を言えば暑くてたまらないので 半パンにTシャツで闊歩したい。

でもそれなりの歳になって子連れがそれじゃあさすがに気がひける。

そしたら手持ちの服で涼しいものをローテーションするほかない。


おしゃれしたい人がすればいいんです。

あ、あの人お洒落じゃない?と思われたくて生きているわけではありませんので不快感がなければそれで私はいいのです。

服は見るのも着るのも好きですが
私の現実問題としては
あんたそんなこといってる場合なの?的なところに暮らしていますので

子育てが一段落して落ち着いてから改めてお洒落は楽しもうと思います。

服を買うときは安いものを買ってきました。
それはこれからも変わらないと思います。

一生ものと呼ばれるようなものを身につける機会がないし手入れ出来ないし、私は年を取ったら農業をして身をたてたいので立派なもんぺを買い求めるのがせいぜいと思います。

革靴をはくこともないでしょうし、出番もなければ靴に失礼です。
飾られるためそこにあるわけではないと思いますから。

ひとつ言えるのは買う場所や、ブランド、店を決めてしまうと楽なのよ、とネットサーフィンで読んだブログにあった気がしますがそのようにしていければと思います。

私のすむ地域は大きなお店もお洒落なお店もありませんからネットで買うのが一番手っ取り早く簡単です。


ユニクロ女子のように体型もそれなりに見映えがするならそれでもよいのですが如何せん体型がそれを許しません。

ユニクロに逆に悪いので安易にユニクロとわかるデザインものを着ることは避けようと思っています。

少しクセがあり少し質がよく、50回くらい洗濯して着てもくたびれない強さのある服をこれからも買っていきたいと思っています。

あれ、すごく話がそれてますよね。
すみません。

イラっときたらわたしはものを捨てることで僅かながらの安らぎを感じますよという記事でした。


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わかる、って言ってくれるだけで救われることって多い


タイトル通りにそう感じたことが最近ありました。


わかってるかわかってないかなんて
どうでもよくて

わかるよ、って言ってくれただけで
悩みが悩みじゃなくなって
感じてることに変わっていく気がする。


同じこと、思ったよね。
そうそう、大変だったよね。


それだけで水面の底から自分を助けようと手を伸ばしてくれてるけどすくわれきれずにその手を見送る、みたいな取り残され感からほんの少し、前を向ける。


手を掴んでくれて引っ張りあげてくれて、
大変だったよねー?

それだけで救われた気になれた。わたしは。


うん、大変だったんだよと。
うん、しんどかったよと。

誰かと同じ気持ちが自分にも相手にもあって
わかるよー、って言ってくれただけで
融ける感じがして。


現実問題として、明日もこれからも
自分が抱えていくこと、関わることの重さもしんどさもきっと変わらない。

だけど通りすがりの誰かが
わかるよー、それだけでこの重苦しさは
少しだけど軽くなれる。


この気持ちは自分にしか
わからなくて、この気持ちはこの世界中で自分しか味わっていないのかもと思うと辛くて
世界はどうですか?そう聞きたくなる。

そのとき、私もだよ、って人がいたら
あぁ、自分だけじゃないって。

みんな乗っかってるもの抱えて今日も生きてるんだと思えたら私もやんなきゃ、と思えた。


まったく同じものじゃなくてもいい。


抱えて歩くしんどさがあなたにもわたしにもあのこにもあるんだよね、って見えてきたときに
感じる重さは変わる。

なにも見えなくて見てなくて
下だけみて、ああ辛い。どうして私ばっかり。
そう思ってしまうことがある。

俯いた自分の背負う影の大きさだけに目をとられて足元も先も見えなくなって見なくなって。

横を通りすぎるはつらつとした声の誰かに知らぬうちに嫉妬をして。


そうしてわたしは生きてきて悲しむことしかできなかった。

けれどふとこの言葉をポーンと投げてくれた人がいて

うん、ほんとにね。


そう思えたらスッとした。

ほんとにね。ほんとに、しんどいよね。

でもこれはこれだよね。
いつか減るよね。

なんかそう思えたら
足取りも悪くなくなった。


悩んでても変わんないけど
どうにかしていこうと思えたら変えられることもある。

変えられなくても
共に生きることって、こういうことだよねと
感じられる。

辛くなくなったら少しだけでも笑える。

笑って暮らしたい、そうしたら
子供たちを真っ直ぐうけとめられる、そんな気がしている。

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発達障害とわたし。

9月がはじまり、私は頭痛ととても仲良くさせていただいています。


ずっと頭痛がしている感じで
薬が手放せません。


そんな私の近況は不登園状態だった娘が少しずつ行けるようになり、また一人で過ごせることが増えてきていい感じです。

息子は読書感想文と工作を頑張りました。


発達障害のある子供を育てている私も
発達障害予備軍、あるいはグレーの中にいます。

ストラテラという薬を飲んでいます。


忘れっぽく、うっかりしていて
気が散りやすいです。

そんな、私は今まで予定を忘れないようにと
ノートに予定表を作成してメモしていました。

でも最近になると、予定表通りにやったかを忘れてしまい、あれこれひっくり返してやった証拠を探す日々でした。

支払いをしただろうか、出さないといけない手続きは終わったのか、手紙は出したのか。

家計簿やノートに書いておけばいいのにそれを忘れてしまいます。

そこで予定表と平行して
終わったことはいつどう終わったかを書くことにしました。

カレンダーに○○投函済み、などど終わった日に書き込みます。

書いていないことはやっていないことなので
予定表を見て済みになったことは太線をひいて消します。

やっていないことは別紙に書いてカレンダーの横に張ります。

こうするとだいぶ抜け落ちが減りました。


なんだか本当にたまに情けなくなります。
こうまでしないと何も遂行できない自分はなんなんだろうと。

それでも私は生きているし生きていかねばなりません。

まだまだ子育ても人生も終わりは遠く
やることは見えてないけど山積みなんだと思います。

色々な本を読んだり、ネットで見たりして
発達障害をどう工夫して乗り越えるか、勉強しているところです。

悩んでも悔やんでも結果は同じだし
自分を呪っても何も変わらないので
やれることをやっていこうと決めました。

こうして苦労してみて息子や娘の苦労を少しずつ体感している気がします。

当たり前に人ができることが出来ないって 
やっぱり大変だなって。

追い付かなきゃ、出来なきゃ、自分からも求めるし求められる。

そんな中にいても、自分らしさをなくさず
長い人生を歩んでいくんだなと思うと
どうにかして寄り添って力になりたいと思うのです。

一緒にいれば楽しいことは倍に
悲しいことは半分こに。
そうやって生きていきたい。


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