置くところがなければ、それはいらないものです。
先日あるショッピングモールへ行ったときのこと。
半額で素敵な土鍋がありました。
いつもの私なら即買いしてもよさそうでしたが
一生懸命考えて、どこに置く?
と考え、結局見送り一回り小さめの土鍋を買いました。
今の私は以前の無鉄砲な私に比べればほんの少しでも進歩してきたのか
いるいらない、の前に
どこに置く?
という観点から買い物をすることが出来るようにやりました。
熱烈にほしい!でもどこに置く?
そう問うと答えは簡単なのです。
ないから、無理。
どんなに欲しくても置くところがなければ日常の中で出番はありません。
結局しまいこんで、いつか化石化した欲しいものと出くわすのですから。
置くところがなければ、それはいらないものです。
どうしても欲しいなら場所を開けるなりなんなりするでしょうが、今のレイアウトのまま招き入れることを考えるとき今あるものを捨ててまで場所を作らないのであればその程度のものでしかないのです。
今あるものがまだ素敵で捨てられない魅力のあるものだということです。
だから何を買うにしても
これを買ったらこれとあれを捨てるぞ、と思えないときは買い時ではありません。
なあなあにしているうちに
腐れ縁になり、捨てられなくなります。
これを捨てるからこれを迎え入れたい、そう思えたものは必ず使う。
ものの量に敏感になりはじめると
それは何のためにこの家に存在しているのかと考え始めます。
すると理由がわかってくる。
今しっくりこない服があったら、リメイクします。
どうせ手放すものです。
惜しみなくリメイクしてみます。
するとあれ?なんかいい。
そう思うこともあります。
リメイクしてもだめなら
捨ててしまいます。
捨てることに罪悪感を感じなくなったら
ものは減らない。
罪悪感を感じるから
買い物に神経を使いいい買い物をしようと思うんです。
リメイクしても失敗して捨てるとき
お金が見えてきます。
ああ、何円すてたな、そう感じます。
それを繰り返したくないから
慎重になる。
そうしていると無闇に増えなくなってくるはず。
一概には言えません。
少なくとも私はそうでした。
ものを捨てるとき、お金が見えたら
慎重になります。
ものを捨てるときの罪悪感はとても大切。