イラッとしたらものを捨てるとき。
明日がごみの日なので改めて家探しをしていました。
直感でポイポイごみ袋に捨てていきます。
何故かとってあったちょい洒落たお店の紙袋や包んでた紙やいつのよ?とぶちギレたくなるほど前の調味料の類い。
もうない、捨てるものなんて何もない!なんて
我が家に限っては絶対にあり得ないのです。
イラっとするということは
何かしらモノが増えて片付けの手間や管理の手間や使いづらさがあるはずなんです。
いつも通りの朝なのに何かしらうまくいかない。
いつも通りの日なのにイライラしてたまらない。
そういうとき、私は
あぁこれはまた増えたね。
と捨てるものを探します。
生きているうちに新鮮で鮮やかにみえたものは色褪せるものだし、必要だったものがそうじゃなくなることも多々ある。
そういうものって直感でいるよ、これと思ったものが私は多いのです。
何の理由もなく買って、何の理由もなくこれいるよ、と思うものは必ずや後でこうして色褪せているなくなるんです。
直感で欲しいこれ、と思ったものは買わない。
これが最近自分に課したルールでもあります。
なんとなくとってあるもの、とっておく必要はあんまりないけどいつかいるかもしれないもの。
でも正直なくてもいいやと思うものは捨てたほうが正解。
あくまで私の場合です。
いまはスーパーもあるし24時間してるお店もそれなりにあります。
どうしても必要ならなんとかできます。
そのときに、買えばいい。
私は物覚えがよくありません。
なので一度奥深くしまったものは日の目をみません。
だから家探しをするたび、これなに?なんでとってるんだろう?そんなものがわんさかあるのです。
イラっときたら家探しをおすすめします。
うちからひとつずつそういうものがなくなると
イライラしてたのが収まってきます。
そこに何があるかわかるようになったことと、いらないものを確実に捨て去ったことで楽になります。
細々したものを捨てると45Lの袋にいっぱいになりました。
これだけのものをなんとなく買い、こうしてまた捨てるのです。
実にもったいないことをしています。
最近私は服を捨てすぎて着るものに困るようになりました。
でもそれはそれで私には楽さをもたらしました。
今着れる服がこれしかないことでコーディネートに悩みません。
悩む余地がないからです。
しこたま困り果てると袖をまくり、裾を折り、どうしかして暑さをしのごうと考えます。
暑いのと服が無いのとで週4で同じパンツをはいています。
人の目?全く気になりません。
この暑さでイチイチ人も見ていないだろうし
同じパンツをはいているから、え?それがなにか?
くらいにしか感じなくなってきたからです。
鈍感になります。
だって本音を言えば暑くてたまらないので 半パンにTシャツで闊歩したい。
でもそれなりの歳になって子連れがそれじゃあさすがに気がひける。
そしたら手持ちの服で涼しいものをローテーションするほかない。
おしゃれしたい人がすればいいんです。
あ、あの人お洒落じゃない?と思われたくて生きているわけではありませんので不快感がなければそれで私はいいのです。
服は見るのも着るのも好きですが
私の現実問題としては
あんたそんなこといってる場合なの?的なところに暮らしていますので
子育てが一段落して落ち着いてから改めてお洒落は楽しもうと思います。
服を買うときは安いものを買ってきました。
それはこれからも変わらないと思います。
一生ものと呼ばれるようなものを身につける機会がないし手入れ出来ないし、私は年を取ったら農業をして身をたてたいので立派なもんぺを買い求めるのがせいぜいと思います。
革靴をはくこともないでしょうし、出番もなければ靴に失礼です。
飾られるためそこにあるわけではないと思いますから。
ひとつ言えるのは買う場所や、ブランド、店を決めてしまうと楽なのよ、とネットサーフィンで読んだブログにあった気がしますがそのようにしていければと思います。
私のすむ地域は大きなお店もお洒落なお店もありませんからネットで買うのが一番手っ取り早く簡単です。
ユニクロ女子のように体型もそれなりに見映えがするならそれでもよいのですが如何せん体型がそれを許しません。
ユニクロに逆に悪いので安易にユニクロとわかるデザインものを着ることは避けようと思っています。
少しクセがあり少し質がよく、50回くらい洗濯して着てもくたびれない強さのある服をこれからも買っていきたいと思っています。
あれ、すごく話がそれてますよね。
すみません。
イラっときたらわたしはものを捨てることで僅かながらの安らぎを感じますよという記事でした。