どんどん流されて生きてみる。
今年は今まで避けてきたけれど、ということをやってみるという年にしたいと思います。
それは変な言い方をすれば「縁」というものを意識することが多かったことがあります。
私は夫の転勤で新天地に住むことになったとき、とてつもない不安感を携えてきました。
見たこともない、聞いたこともない、吸ったこともない空気に満ちた新しい住処に不安感と違和感と殺伐とした想いしかありませんでした。
けれど末娘が療育をうけるためあちらこちら見慣れない土地を右往左往することとなります。
そんななか、出会う人は優しい人もいればそうでない人もいました。
でもその出会いがなければここまで、今というここにまで辿り着くことは出来なかったでしょう。
人に支えられて縁があって、人は生きている。
助けられ助けて生きていく。
そうした繰り返しをするうち、自分がしていないことをしてくれる誰かのことを考えるようになりました。
学校、地域、ご近所さん、会ったこともない誰か。
そんななかで生きていて、そして縁があって出会う。
それはタイミングだったり、運だったり、縁だったりする。
私は迷い出せばキリのない人間です。
だから、「しますか、しませんか?」という問いはとてつもなく答えようがないのです。
もっといえば「どうしたいですか?」にも答えられないくらいキリがないのです。
自主性がないといえばなく、受け身でどこか投げやりで面倒くさがり。
受け身なくせに流れに逆らい文句をいう質のわるいタイプ。
そんな私なので、ここまでの人生は取捨選択を繰り返すのがいやで、変化を拒み避けてきました。
けれど新天地にきて、縁を感じるなかで
「してみませんか?」と言われることが増えていました。
それはたぶん、やる人がいないからかもしれない。
でもせっかく声をかけてくれたことは何かのタイミングなのかもしれない。と思い
学校の役員と学級委員を引き受けることとなりました。
いやです、って言えばそれですむのかもしれない。
でも私じゃない誰かも今までしてきてくれていたことで、息子や娘だってお世話になってるはずで。
やってみないとわからない部分は大きいけれどやってみようと思いました。
流れに逆らわず流されてみてもいいかもなと今年は思えたのでどんどん流されて生きてみようと思います。