私の暮らし

発達障害の子供たちと小さくミニマムに暮らしていくのが目標です。

網戸掃除と最近の我が家。

先日網戸掃除しました。

前もって100均で買えるものだけでできる的なページをスクショしてもらい買いにいきました。

結局は水とバケツとスポンジとブラシがあればなんとかなりました。

流行りのウタマロは我が家は不向きであちこち剥げたり色落ちしたりで退去するときめっちゃ払うことになるんだろうと腹をくくる私です。


子どもたちが暇そうなので、やっとくれ、といったらめちゃくちゃやる気でやってくれて助かりました。


網戸も窓も越してきてから掃除してなくて、というか掃除の仕方がわからなくて。放置してました。


水を含ませたスポンジでこすると汚水がでまして、まぁ綺麗なりまして。

お陰でこれから気持ちよく網戸が使えます。

子供が3人いたらもう賃貸に住む以上綺麗に原状回復なんて無理だと私は諦めました。


それなりに貯蓄をして退去するとき、耳を揃えて払わせていただこう、その一点につきます。


そして最近5ヶ月ぶり美容院へ行きまして。


縮毛矯正とカットをしてもらいました。


ネオウルフがいいなと言ったら真っ直ぐになりすぎてならないと思うよと言われたけどそれでもいいの、といってしてもらいました。


出来上がりはマッシュウルフです。

うーん、この横髪のパツンはなんなんだろう?と40を手前にして悩みましたが答えなんて出ないのでほっときます。


とりあえず、ウネウネだったくせ毛がなんとかなり全体的にもマシになったかなと自己満足。


給付金の手続きしましたがあれはいつ頃になるんでしょうね?

早い人だと25日あたりに銀行で通帳記入する人がやたらいたのであ、ぁそういうことかと合点がいきましてまだまだ待ちそうな我が家です。

ようやく分散登校やコロナウイルスによる休校が落ち着いてきました。


末っ子は絶賛不登校中ですが焦らず見守ろうと思います。

親が焦ったところで、あ、じゃあ行くよなんて言うはずがないので機嫌をとりつつ、時にあしらい、時にきつめに言い、時に娘と背徳感たっぷりにマックで買って食べて。

誰にも内緒よ、っていうのに娘はペロリと喋っちゃうからマック代がかさみます😖

子どもにとってマックのポテトは別物なんだよね。そう思います。


揚げたじゃがいもならなんでもいいわけじゃない。
マックだからいいんだ、うまいんだって。

添加物がどうのこうのと母は言いたくなるけど今はいいの。
おいしければいいの。


ポテトをたべて宿題する気になるなら、私は買うよね。

怒るよりよっぽど楽だから。


怒るために産んだわけじゃないから、怒らないで一緒に生きていきたい。


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子どもたちとチーズフォンデュ


今日は子どもたちのリクエスト、チーズフォンデュをします。

晩御飯としてどうなのかなと思いつつも子どもたちが喜んで食べてくれるなら何でもいいです、この際。


子どものご飯に悩みに悩んでいたのは一人目の時。

本通りにパクパク期、モグモグ期、なんてのにあわせて作って。

けど娘は一口も食べないどころかテーブルに乗ってるものをなぎはらって泣き叫んだ。

私はカッとなって娘の口に作った離乳食を詰め込もうとした。

飲み込めない娘は涙を流しながら吐きまくった。

そのとき思った。

ここまでして食べさせる意味はあるの?


私は確かに努力した。
茹でてすりつぶして、加工して
本の通りに雑誌のようにパクパク食べてくれるのを楽しみにして作った。

でも娘は断固拒否した。

その日から私の考えは変わって食べたいものを食べればいいになった。


いやいや食べたところで栄養にならないし、そもそも作るのが苦痛だ。
食べてくれないものを作ることほど苦痛なことはない。


一生懸命作るから余計腹が立つんだ。

私は家計管理に向いていなくて
貯金もできないし、他の人は計画性もなく3人も子どもを産むような無責任な人だという。


けどそれはそれで別にいい。

どうせ食べるならおいしく、食べたいものがいいに決まってる。

だから今夜は栄養とか食費だとか忘れて
たらふくチーズフォンデュを、みんなで食べよう。

人間はおいしく食べることが食べ物に対する最大限の義務だと思うから。

気づいたらいつも謝っていました。

今日ふと思いました。


「謝ってばっかりだな。なんで?」


気づけばあちらにもこちらにも謝っていました。

どの人にも申し訳ありませんと幾度もLINEで同じ文面を打ち込んで。

なんで、私ばっかり謝ってんの?

なんか、偉そうだけどそんなことをふと考えていた。


少し、だけど色々考えを張り巡らせてたどり着いた。

謝ったってべつにいい。って。


謝ればいいじゃん、じゃなくて謝ってたっていいじゃんて。

なんで、私ばっか、って考えるのも意味ないよなって。

私が悪いなら謝って、事を進めよう。

私ばっか謝ってるからって何か損する訳じゃないよ。

ただ、謝るだけ。
私のミスで謝る。

大なり小なり迷惑をかけたんだから謝る。
そこに拘ってどうのこうのいうの、もう嫌だしめんどくさい。

私の中は少し疲れていろんなものが削げた気がするけど気がするだけ。

拘らない。

私を誰がどうみようと気にしない。
お好きにどうぞ。


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運命は、偶然は。

今週のお題「大切な人へ」

私はこれまで、苦労らしい苦労をしてきませんでした。

それは結婚して夫がいつも全面に立ち盾となり私を守ってくれていたからでした。


わたしはその盾の後ろで自分らしさを時に求め、自分の存在理由を探し、子育てをしながらもどこか若い頃に出来なかった自分探しをしてきました。

そんな中で、紆余曲折を経て
気付けば16年が経ちました。

ここまで、私は夫に守られ生きてきました。

嫌なことも夫が引き受け、向いてないと言いつつも苦手なコミュニケーションをとりながら会社に在籍し、毎月お給料をもらってきてくれました。

私の代わりに夫はいつも盾になってくれていた。

メンタルが弱く、持病のある私を慮って私という人間を尊重してくれていた。

外に働きに出ることも出来ない私を蔑むことも急かすこともなく、ただ、そこにある私という個体を愛し、人間としてたててくれたことに感謝しかありません。

何の根拠もなく3人の子を授かりました。

外に働きに行くことも出来ない私に3人の愛する子供を授けてくれました。

子供は2人でいい、そう思っていた私を3人の子の母にしてくれました。

「あなたが泣いていたらこの家はだめになる。あなたは我が家の太陽だよ。いつも笑っていてね。笑っていてくれるだけでいい。」

思い返せば私はいつもあなたに励まされ、支えられて生きてきたのですね。

一生一人で生きて死んでいくんだと思っていた私に家族と居場所を与えてくれました。

そしてそれは私という人間を際限なく愛してくれるかわいい子供達と生きていくという人生をもたらしてくれた。

自分が大嫌いだった。生きていても死んでいてもどっちでも構わない。そんな風にしか思えなかった自分が人に愛されることを知り生きる糧となりました。

もうすぐ親と過ごした時間よりあなたと過ごしてきた時間がそれを通りすぎていくのですね。

小さなことはもう少しずつ忘れてしまっていることもあるけどずっとずっと覚えていることだってたくさんあります。

偶然は運命で運命は偶然なのかもしれません。


けれどあなたと出会いここまで何の心配もなく愛されて生きてこられたことは私にとってはもう奇跡に近い出来事なんです。

私の目が見えなくなってもあなたの声が聞こえますように。私の耳が聞こえなくなっても私の瞼にはいつもあなたが笑ってくれていますように。

死ぬまで、では足りません。
死んでも、一緒にいてください。

どんどん流されて生きてみる。

今年は今まで避けてきたけれど、ということをやってみるという年にしたいと思います。

それは変な言い方をすれば「縁」というものを意識することが多かったことがあります。

私は夫の転勤で新天地に住むことになったとき、とてつもない不安感を携えてきました。

見たこともない、聞いたこともない、吸ったこともない空気に満ちた新しい住処に不安感と違和感と殺伐とした想いしかありませんでした。


けれど末娘が療育をうけるためあちらこちら見慣れない土地を右往左往することとなります。

そんななか、出会う人は優しい人もいればそうでない人もいました。
でもその出会いがなければここまで、今というここにまで辿り着くことは出来なかったでしょう。


人に支えられて縁があって、人は生きている。
助けられ助けて生きていく。

そうした繰り返しをするうち、自分がしていないことをしてくれる誰かのことを考えるようになりました。

学校、地域、ご近所さん、会ったこともない誰か。

そんななかで生きていて、そして縁があって出会う。

それはタイミングだったり、運だったり、縁だったりする。

私は迷い出せばキリのない人間です。

だから、「しますか、しませんか?」という問いはとてつもなく答えようがないのです。

もっといえば「どうしたいですか?」にも答えられないくらいキリがないのです。

自主性がないといえばなく、受け身でどこか投げやりで面倒くさがり。
受け身なくせに流れに逆らい文句をいう質のわるいタイプ。

そんな私なので、ここまでの人生は取捨選択を繰り返すのがいやで、変化を拒み避けてきました。

けれど新天地にきて、縁を感じるなかで
「してみませんか?」と言われることが増えていました。

それはたぶん、やる人がいないからかもしれない。
でもせっかく声をかけてくれたことは何かのタイミングなのかもしれない。と思い
学校の役員と学級委員を引き受けることとなりました。

いやです、って言えばそれですむのかもしれない。

でも私じゃない誰かも今までしてきてくれていたことで、息子や娘だってお世話になってるはずで。

やってみないとわからない部分は大きいけれどやってみようと思いました。

流れに逆らわず流されてみてもいいかもなと今年は思えたのでどんどん流されて生きてみようと思います。


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子供達の教育費


我が家は3人の子供がいます。
上は高校生、下は今年小学生になります。

私の家計管理の下手さゆえ、教育費はなかなか構築できないもののひとつです。

習い事や塾など、してみたいこともあっただろうに結果的に我慢させ諦めさせてきたのかもしれません。

その点は正直よくわかりません。

子供達は塾や習い事に興味がなく、たくさん子供が集まる場所にいることを嫌ったので
家にいる方が気がラクだといって入りたいと言われることもなく過ぎました。


せめて学力の底上げになればとベネッセの通信教育を3人ともしています。


こどもちゃれんじぷちからしているので長いお付き合いとなります。

上の子は塾は2ヶ月足らずでやめてしまいました。
先生との相性が合わない、というものです。

なので実質はベネッセの通信教育と学校の授業で受験勉強をして合格してくれました。

塾費用のことを気にしてかもしれません。
だとしたら喜ぶべきことでないと思ってしまう。

その昔何の計画性もなしに子供を何人も作るなんて信じられないと言われたことがあります。

全くもってその通りと思います。

私達親は我慢すればなんとかなるものを子供たちまで巻き込む形になるのですから。当然のことです。


だからこそ、うん、それもおかしいですが適当な言葉が見当たらないのでそう書きますが

子供達が私達の元へ来てくれたことに最大限の感謝をして、育ててやるなどというおこがましさもなく
来ていただいたというその有りがたさを噛み締めて生きてきたつもりです。

彼等がなくして、私達は親とは名乗ることも出来ないのですから。

選ばれてここへ、来てくれたのだとしたら
最大限の出来うることをしてあげたい。

お金があれば願いは全て叶えてあげられるでしょうか?そこはわかりません。

叶えてあげられたかもしれないことを数えて
ごめんね、と嘆くより
今の私達が出来うることの最大限を伝え続けたい。

こんなのは綺麗事なのかもしれない。

逆立ちしてもしてあげられないことはたくさんある。

その代わり、代わりにもなってるかわからないけれどあなた達のために。

親にしてくれたことへの感謝と選んでくれたことへの感謝と。

まだ、出来ることきっとあるから頑張れる。


今まで無理をしてくれてありがとう。
これからも無理をさせてしまう。ごめんね。
でも巣立つその日まで、一緒に生きていきたいです。

置くところがなければ、それはいらないものです。


先日あるショッピングモールへ行ったときのこと。

半額で素敵な土鍋がありました。

いつもの私なら即買いしてもよさそうでしたが
一生懸命考えて、どこに置く?
と考え、結局見送り一回り小さめの土鍋を買いました。


今の私は以前の無鉄砲な私に比べればほんの少しでも進歩してきたのか

いるいらない、の前に
どこに置く?
という観点から買い物をすることが出来るようにやりました。


熱烈にほしい!でもどこに置く?
そう問うと答えは簡単なのです。
ないから、無理。

どんなに欲しくても置くところがなければ日常の中で出番はありません。

結局しまいこんで、いつか化石化した欲しいものと出くわすのですから。

置くところがなければ、それはいらないものです。

どうしても欲しいなら場所を開けるなりなんなりするでしょうが、今のレイアウトのまま招き入れることを考えるとき今あるものを捨ててまで場所を作らないのであればその程度のものでしかないのです。


今あるものがまだ素敵で捨てられない魅力のあるものだということです。


だから何を買うにしても
これを買ったらこれとあれを捨てるぞ、と思えないときは買い時ではありません。


なあなあにしているうちに
腐れ縁になり、捨てられなくなります。

これを捨てるからこれを迎え入れたい、そう思えたものは必ず使う。

ものの量に敏感になりはじめると
それは何のためにこの家に存在しているのかと考え始めます。

すると理由がわかってくる。

今しっくりこない服があったら、リメイクします。


どうせ手放すものです。
惜しみなくリメイクしてみます。
するとあれ?なんかいい。
そう思うこともあります。

リメイクしてもだめなら
捨ててしまいます。

捨てることに罪悪感を感じなくなったら
ものは減らない。


罪悪感を感じるから
買い物に神経を使いいい買い物をしようと思うんです。

リメイクしても失敗して捨てるとき
お金が見えてきます。

ああ、何円すてたな、そう感じます。

それを繰り返したくないから
慎重になる。

そうしていると無闇に増えなくなってくるはず。

一概には言えません。
少なくとも私はそうでした。


ものを捨てるとき、お金が見えたら
慎重になります。

ものを捨てるときの罪悪感はとても大切。


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