私の暮らし

発達障害の子供たちと小さくミニマムに暮らしていくのが目標です。

こんなとき、能天気な君のそばにいよう。

何かの力が働いているのてはないかと疑いたくなるくらい、ツイてない。
そう感じることがある。


神様のイタズラ?
厄年だから?
前世のカルマ?

いくらだってツイてない理由が
思い浮かんで消えていく。

ため息がこぼれ
肩を落として
人混みの中を舌打ちしながら進み

家事のひとつひとつが荒くなり
言葉遣いも悪くなり
皆に伝染していく。

ジワーっと。モヤーっと。
暗雲が立ち込める。
空気が淀む。


あぁ、この人生ってなんだ?

怒りや哀しみにも似た何かを
思いながら

端でギャンギャン ワァワァ
騒がしい奴等がいる。

我が子達、その人である。


彼等の騒がしさに腹が立ちながらも
ふと、沈んだ何かが頭をもたげる。


悩んだってしゃあないな。
こりゃーもう、むり。
どうにかなるでしょ!


開き直る、というチャンスをくれる。

そして家事に忙殺される、という役割をくれる。

ああ、こうして親は子に救われていくんだ。


ただ騒いでるだけだけど
飯はまだか?と騒いで
勝手におやつをこっそり食べていたりするような彼等だが


あなたはいま、なにをすべきでしょうか?


というシンプルな問を投げ掛けている。


頭を悩ませ俯き、涙し、悲観に暮れ
明日なんてもう来やしないんだ、
もうどうにもならないんだわ!と

どうせ、あんた達にはわかりっこないでしょ!

と罵声を吐く、ことではなしに。


あなたは母さんでお腹をすかせた子がご飯を今か今かと待ってます。

子供達にたらふく食べさせて
また騒ぎながら時が過ぎて
はしゃぎすぎて眠るときまで

今は忘れよう。
今は笑っていよう。

能天気で陽気な彼等のそばにいたら
邪気退散!とばかり暗雲が消えていく。


もし彼等がいなかったら
とっくに転覆している。

彼等がいたから
踏ん張ることができる。

明日を信じられる。希望がもてる。

輝かしい太陽達に囲まれて
騒がしいけど、幸せだ、母ちゃんは。

ありがとう。
母ちゃんより。



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ちょっ吐露

ちょっと、弱音をはきます。

あーなんて苦しいんだ!
何故私ばっかりこんなに、苦労しなきゃならないんだ!


もう嫌だ。もう出来ない。もう、むり。


はー。


吐いてみたけど何も変わりませんね。


下を向いてれば景色も見えない。
愛しいあの人の笑う姿すら見えない。
あの山の向こうも、あの空の彼方も
夕日の沈むさまも、雪が空の高い高いところからやってくるさまも見えない。

かが見込んだ自分の影だけ見える。
そこにポツポツ哀しみの雨が落ちるさまだけが
見える。

素敵な景色も美味しそうな匂いも
大好きなあの人も何もかも立ちすくむ我が身の影に吸い込まれていくだけ。


下を向いても天に唾を吐いても
何も変わらない。

変わろうと前をみたとき、変わろうと歩くスピードを変え、歩く道を変え
誰かの手をとり美味しそうな匂いのする所へ行って食べて一緒に美味しいねって笑えたら
何かが変わり始める、かもしれない。

進むなら前を見よう。いついかなる時も。

素敵な景色をみて、美味しいものを食べて
大好きなあの人と空や海の美しさについて話をして
今日ここに共にいられることを感謝して
明日も明明後日もこうしていられたらいいねと
笑いあって生きていこう。

今日お腹一杯食べられたことに
今日雨風凌げることに
今日も大好きなあなたといられることに
感謝して感謝して
ありがとう、と言って眠ろう。

きっと10年後もあなたが好きで
10年たっても誰かを愛せることに
喜びと慈しみと感謝を。


どんな日も
しあわせに暮らせることに感謝を。


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2016年 初書き

明けましておめでとうございます。
うん、何がだろうね、と。
私、としおんなです。
申年。
しかも長いこと前厄だわ、後厄だわ
ごたごた良いことあるの今年?ばりな年の幕開けでございます。


と、愚痴ってばかりいると運気が下がる気がするので止めます。

今年はとてもいい一年にします。
公私共に。

頑張って、生きて
いい一年にします。

去年は大掃除も終わりまして
ほっと一安心。

日頃から掃除や片付けをするのは
とてもいいことだと実感しました。

大掃除が楽に終わったからです。

家族総出で実質2日あまりで
終わったことは私なりに好感触でした。

今まで時間がなくて、面倒になって
これくらい、いいだろう。
と投げ出してしなかった箇所は結構ありました。

でも去年はそうじゃなく
きちんと全うできた。

日頃からこまめに働くことで
何日も大掃除をやらなくて済んだことは
これからも励みになるし
もっと改善すれば今年は大掃除、なんてわざわざ設けずとも年を越せるかもしれない。

それってそれって
とてつもなく楽じゃないか?と。

ここには何がある、ここにはこれがある。

と認識しているとものが出て来ない!ということが減ります。

あるものがわかるから必要なものだけを
常に補充できる。

見晴らしのよい冷蔵庫ばりに
家の中がわかれば
より、モノとの付き合いもよくなる。

モノを減らす暮らし、必要分を考える暮らしは
はじめて良かった。

いるものを買えばムダ遣いはなくなる。
そういう、気がする。


欲しいモノを買って
必要な分だけ補充する。

今年はいい年になります。
貯金を増やしたり、身になる仕事をしたり
心身共に輝ける年にします。

何もない暮らし。には何がある?


生活感のない暮らしって楽しいのかな。
何もない暮らし。

それって暮らしなのかなあと
わたしは思ったりします。

暮らしている感じすらも無くすってのは
味気ない感じがして。

人様の事なんだから関係ないでしょ!って
言われればそうなのですが。


生活感を無くすためにおむつを隠す。

へぇーそうかぁー。
見えてたら恥ずかしいもの?

玄関に表札があるくらい普通のことのような
気がしちゃいます。


暮らしてるのに暮らしてる感を無くすのは
おしゃれ、だとするとわたしには向いてませんね。

汚いのと暮らしてる感とは違うものだと
思っているし、私は暮らしてる感満載のうちがいいです。

家族がいて各々が自分なりの暮らしをしてる様があちこちにあってみんなで暮らしているんだという感じが暖かくて居心地がいいです。

少々見た目が煩雑でも各々に必要なものを持ってる暮らしなら問題ないかなぁと。

一般人だし、誰かに見せるわけでもなし。

生活感は、必要です。
思い出が積み重なっていくのと同じくらい
生きていることそのものだと思うから。

モノの増減は生活を改めるための手段のひとつでしかない。

モノの量が減ることが幸せを増やすことに繋がっていると盲目に思い込むのはやめようと思う。

本はモノじゃなく本です。

今日は12月24日。
クリスマスイブ。

遡ること10数年前

12月23日のあるひ。

今日はイブイブだね( ・∇・)
といわれ

(゜д゜)?

この人無理、と思った人が
今の夫になったことを思い出します。懐かしく。

毎年この季節になると頭が痛くなります。

サンタさんからのプレゼントプラス親からのプレゼントも考えねばならないからです。


長女は12才。

もうぶっちゃけサンタなんかいないんだぜ!って
開き直るか?と毎年夫と話をしている。
が、いまだに出来ない(-_-;)


まだ下に二人いるのでここで現実感をぶつけるわけにはいかずなんとかなんとか堪え忍ぶ。


と、子供三人のため親からは子供の希望するものを買ってあげることに。

長女はパーカー。
真ん中はNゲージ
末っ子は特になし。(希望は)

Nゲージは父却下。
末っ子と揉める要素多分にあり、とのこと。
よって別にものに。

子供達には本をプレゼントします。
ゲームソフトや本体や何やらかんやら
世の中にはあるかもしれませんが
既に持っているし、ゲームよりも本を。
これは親の考えですが


本を読んで暮らすことは
けして無駄にならないとわたしは思う。

子供の頃、裕福ではなかったけど
月に一度好きな本を買ってもらえたことは
今でも嬉しかったことのひとつに残っている。


余計なものは無くてもいい。必要なものは
あってもいい。

本棚は小さい頃から増えっぱなしだが
上から下へ読み継がれるものだ。
書き込み、折れやシワ、ジュースのシミ

そういう一つ一つに思い出が残っている。

科学の本、電車の本、音の出る本。
しかけや書き込みのできる本。
匂いのする本、鏡のついた絵本。

子供達と本の部屋でいっしょくたになって
本を読む時間はたまらんと今でも思う。

本はモノじゃなく本です。
減らせないけどいないと困る。

今年、サンタさんからは本をお届け。


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親はおやつ代を稼ぐために働いている。

久しぶりに晴れた今日。

娘は歌が好きだ。

何かしら口ずさんでいる。
将来は歌手なのか?と勝手に思う母である。

娘はあるこーあるこーと歌っている。
なんの歌詞なのか母にはわからない。


ただ、黙って聞いていると
あぁそうだね、歩くしかないのだと思えてくる。


ワンワン泣きながらでもいいから
歩くこと。歩いていればそのうちいいことも
あるかもしれない。

子供が親にくれるのは
底抜けな明るさと前を向くということ。

なんで泣いてるのかわからないし知ろうともしない。けど、泣いてたらそばにいる。
笑わそうとする。

子供といると後ろ向きになることや、ネガティブになることは吹き飛ばされてしまう。

笑ってりゃなんとかなるよ、そう云わんばかり。

その明るさが私の中のジメジメとした心の湿地帯をカラカラに乾かしてくれるのだ。

無鉄砲な明るさは私を引っ張りはしない。
ただいつも前にいてくれる。
ここへこいと言ってくれる。

だから長いことずっと歩いてこられた。

ジュース片手にケラケラ笑う姿を見るたび

親はこのために働いているのだと
夫はよく言っていた。

親はおやつ代を稼ぐために働いているのだ。
そうなのかな、いやそうかもしれない。

この笑顔のために生きているのだ。

道端に愚痴と涙を溢そう。


上を見ればキリがなく下を見てもキリはない。

私がしたいのは優越感に浸るんじゃない。

あぁ、頑張って踏ん張ってる人がちゃんといるじゃないかと、そう思うのだ。

諦めたって誰もかまやしないし
投げ出して終わりにしたっていい。

それでもそれでも、今日も明日も多分そのまた次の日もぐぐっと歯を噛み締めて頑張ってる人がいる。
この世界に。そう遠くないところに。

逃げ出したくて泣き出したくなって
なんで自分ばっかりこんな目に遭うんだ!って
天に唾を吐いて
それでも悔し紛れに生きている。

一日一日戦々恐々としている。
何に戦き、何に怯えて、何を求めているのかも
わからなくなる。


愛しい人の笑顔を見ても可愛い我が子の寝顔を見ても心のなかに吹きすさぶ強烈な風が
渦巻いている。


明日をも知れない命ではない。
明日をも知れないだけで明日、どうなっているのか不安で今すぐ誰かに飛び付いて叫びたいだけで。


助けてほしいと思いました。
もう頑張らなくてもいいと言ってほしいと
思いました。

投げ捨てて明日が見えるならそれでもいいと思いました。


捨てたいけど捨てられません。
辞めたいけど辞められません。

守っていきたいと今思える存在が此処にあるから。

私が踏ん張らないと守れない。
全てを失っても平気だなんてもう言えない。

無くしたらわたしは私である意味を失います。
生きることも眠ることも何もかも
あってもなくてもよくなります。

大切なものも守れないで生きるのは
生きているといえないと思うから。

大切なもののためにこの身を削ることも厭わないとがむしゃらに生きることが一緒に生きることが私の願いだから。

苦しくてつらい。泣きたい。逃げたい‼
それでもあなたたちと居たい。

たまにあなたたちに見つからないように道端に愚痴と涙をドボドボッと溢して
また笑って生きていこう。