私の暮らし

発達障害の子供たちと小さくミニマムに暮らしていくのが目標です。

グルテンフリーなはなし。

2ヶ月ほど、ゆるくグルテンフリーをやってます。

小麦粉をなるべく摂取しないという
ゆるいルールのもと続いています。

パンや麺類、小麦粉の使われているものを控える。

米粉でパンを作ったりクッキーを作ったり、そうわって食べてます。

グルテンフリーを1ヶ月して
劇的に何かしら変わったこともなくて
何の気なしに小麦粉製品を食べたら
とんでもなく消化不良を起こして寝込んだので
それ以来怖くて食べなくなりました。


小麦粉は結構様々な食品に使われていることを改めて知りました。

けして敵ではありませんが
私の体質にはもう合わないようです。

昨日作ったもの。

昨日作りおきしたもののメモ。

肉じゃが
人参しりしり
ほうれん草のおかか和え
切り干し大根とツナのサラダ

計4品。

作りおきに相応しいものを考えていたけど
それも面倒になり
いつも食べているもの、好きなものをメインとして考えることにしました。

作りおきの本やサイトを参考にすると
あまり食べないものもあるので
作りおきは副菜扱いとし、メインにお肉か魚を用意してやってみることに。

頭を悩ますのはメインだけでいいので
面倒臭がりの私には向いているかもしれない。

台所に何時間も経つのは性格的に無理。

ならばちょこちょこでいいのでは?
そんな発想のもと今日も暮らしています。

ナウいのも悪くない。作りおきのブーム


作りおきブーム。
常備菜ブーム。

どうにもうまいこと乗りきれていないのだが
見よう見まねでその波に乗るまねをしはじめました。


つくおき、という本をまずヤフオクでゲットし

つくおき、というサイトをお気に入りにいれて

作りおきノートをセリアで買ってきて

作れそうなもの、よく食べる野菜や肉類などから逆引きして調べてノートにメモ。

それに基づいて買い物をして
作りおきする。


こういうしちめんどくさいことを今までの私は憧れ半分諦め半分で見送ってきたのだが

いつだったか
夫のお弁当を作るのにそれらしいおかずがなく
惣菜と冷食で詰めた。

その時にシトシトと何かしらとんでもなく
申し訳ない気持ちになった。


引きこもり主婦を長いことさせてもらえてるのに何不自由なく暮らさせてもらっているのに

こんなお弁当を持たせるのは
あまりにも酷いんじゃないかと思った。

せめてきちんと拵えたものを食べてもらいたい。そのために出来ることとして
作りおきをしようと考え付いた。

毎度毎度は出来ないかもしれないが
ちゃんとしたものを食べよう、そう思った。

最初はきっとうまいことはいかない。
でも続けよう。


昨日作ったのは

ピーマンとししとうのきんぴら
切り干し大根いため
小松菜と油揚げの煮浸し
じゃがいもボイル
ピーマン入りポテトサラダ
ニラひき肉炒め
ほうれん草お浸し
小松菜ボイル

殆ど手の込んだものは無いが
まずまず、と自分では思うことにした。

この他に鶏胸肉のハム下拵えとねぎの小口切りを冷凍した。

これを使ってワンプレートに挑戦。

洗い物が少なくて便利だ( ; ゜Д゜)

食の細い息子に際限なく食べることを強要しなくても盛り付けたものを食べきればよし、とすることが出来て残した、残さないというお説教をしなくて済んだことは良かったこと。

また一品の量を多くしなくてもいいので
少しずつ残ったもので少しずつ作っておけばいいのも便利。

小さなおかずがたくさんあるほうが
子供たちは飽きない様子。

すぐ食べきるので日持ちを考えたり
リメイクを考える間もなく食べきれて助かることも判明。

ちょこちょこたくさん作る方が
リメイクやアレンジが苦手な私には向いているかもしれない。

このつくりおきの波、うまく乗りきれるだろうか?

腐っていた二十歳

今週のお題「20歳」

私が二十歳のとき。

高校卒業した年でした。

頭が金髪で不摂生でガリガリに痩せ
タバコばかり吸って完全に実家のお荷物になって
腐っていたころ。


バイトもせず
未来も希望も全く思い描くこともない
ただただ一日一日をマークシートの○を
塗りつぶすみたいな、それだけな人生を
送っていた。

腐っていることにも気付かないくらい
腐っていた。

19歳の時、成人式の模様を映した映像が流れていた。

ド派手な頭髪にド派手な衣装を着て
ハロウィンパーティーの如く大騒ぎする新成人が
映し出されそのニュースを厳つい顔をしたコメンテーターが扱き下ろす、

世も末ですな。

そんな時代だったなあ。


そんな私がふてくれされながら参加した成人式。

くそ寒い日でなんでこんな日に出掛けなきゃならないのかと怒りしかなかったのを思い出す。

そしてこの日。
母親が撮った、といった写真。

だが後日フィルムが入ってなかったとわかった。

大人のとしての船出はこんなもんかと
更に腐りかけていた頃。

あまりいい想い出はない。

でもあの頃より思いもかけないくらい
今の私は幸せに生きている。
人生は何があるか本当にわからない。

こんなとき、能天気な君のそばにいよう。

何かの力が働いているのてはないかと疑いたくなるくらい、ツイてない。
そう感じることがある。


神様のイタズラ?
厄年だから?
前世のカルマ?

いくらだってツイてない理由が
思い浮かんで消えていく。

ため息がこぼれ
肩を落として
人混みの中を舌打ちしながら進み

家事のひとつひとつが荒くなり
言葉遣いも悪くなり
皆に伝染していく。

ジワーっと。モヤーっと。
暗雲が立ち込める。
空気が淀む。


あぁ、この人生ってなんだ?

怒りや哀しみにも似た何かを
思いながら

端でギャンギャン ワァワァ
騒がしい奴等がいる。

我が子達、その人である。


彼等の騒がしさに腹が立ちながらも
ふと、沈んだ何かが頭をもたげる。


悩んだってしゃあないな。
こりゃーもう、むり。
どうにかなるでしょ!


開き直る、というチャンスをくれる。

そして家事に忙殺される、という役割をくれる。

ああ、こうして親は子に救われていくんだ。


ただ騒いでるだけだけど
飯はまだか?と騒いで
勝手におやつをこっそり食べていたりするような彼等だが


あなたはいま、なにをすべきでしょうか?


というシンプルな問を投げ掛けている。


頭を悩ませ俯き、涙し、悲観に暮れ
明日なんてもう来やしないんだ、
もうどうにもならないんだわ!と

どうせ、あんた達にはわかりっこないでしょ!

と罵声を吐く、ことではなしに。


あなたは母さんでお腹をすかせた子がご飯を今か今かと待ってます。

子供達にたらふく食べさせて
また騒ぎながら時が過ぎて
はしゃぎすぎて眠るときまで

今は忘れよう。
今は笑っていよう。

能天気で陽気な彼等のそばにいたら
邪気退散!とばかり暗雲が消えていく。


もし彼等がいなかったら
とっくに転覆している。

彼等がいたから
踏ん張ることができる。

明日を信じられる。希望がもてる。

輝かしい太陽達に囲まれて
騒がしいけど、幸せだ、母ちゃんは。

ありがとう。
母ちゃんより。



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ちょっ吐露

ちょっと、弱音をはきます。

あーなんて苦しいんだ!
何故私ばっかりこんなに、苦労しなきゃならないんだ!


もう嫌だ。もう出来ない。もう、むり。


はー。


吐いてみたけど何も変わりませんね。


下を向いてれば景色も見えない。
愛しいあの人の笑う姿すら見えない。
あの山の向こうも、あの空の彼方も
夕日の沈むさまも、雪が空の高い高いところからやってくるさまも見えない。

かが見込んだ自分の影だけ見える。
そこにポツポツ哀しみの雨が落ちるさまだけが
見える。

素敵な景色も美味しそうな匂いも
大好きなあの人も何もかも立ちすくむ我が身の影に吸い込まれていくだけ。


下を向いても天に唾を吐いても
何も変わらない。

変わろうと前をみたとき、変わろうと歩くスピードを変え、歩く道を変え
誰かの手をとり美味しそうな匂いのする所へ行って食べて一緒に美味しいねって笑えたら
何かが変わり始める、かもしれない。

進むなら前を見よう。いついかなる時も。

素敵な景色をみて、美味しいものを食べて
大好きなあの人と空や海の美しさについて話をして
今日ここに共にいられることを感謝して
明日も明明後日もこうしていられたらいいねと
笑いあって生きていこう。

今日お腹一杯食べられたことに
今日雨風凌げることに
今日も大好きなあなたといられることに
感謝して感謝して
ありがとう、と言って眠ろう。

きっと10年後もあなたが好きで
10年たっても誰かを愛せることに
喜びと慈しみと感謝を。


どんな日も
しあわせに暮らせることに感謝を。


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2016年 初書き

明けましておめでとうございます。
うん、何がだろうね、と。
私、としおんなです。
申年。
しかも長いこと前厄だわ、後厄だわ
ごたごた良いことあるの今年?ばりな年の幕開けでございます。


と、愚痴ってばかりいると運気が下がる気がするので止めます。

今年はとてもいい一年にします。
公私共に。

頑張って、生きて
いい一年にします。

去年は大掃除も終わりまして
ほっと一安心。

日頃から掃除や片付けをするのは
とてもいいことだと実感しました。

大掃除が楽に終わったからです。

家族総出で実質2日あまりで
終わったことは私なりに好感触でした。

今まで時間がなくて、面倒になって
これくらい、いいだろう。
と投げ出してしなかった箇所は結構ありました。

でも去年はそうじゃなく
きちんと全うできた。

日頃からこまめに働くことで
何日も大掃除をやらなくて済んだことは
これからも励みになるし
もっと改善すれば今年は大掃除、なんてわざわざ設けずとも年を越せるかもしれない。

それってそれって
とてつもなく楽じゃないか?と。

ここには何がある、ここにはこれがある。

と認識しているとものが出て来ない!ということが減ります。

あるものがわかるから必要なものだけを
常に補充できる。

見晴らしのよい冷蔵庫ばりに
家の中がわかれば
より、モノとの付き合いもよくなる。

モノを減らす暮らし、必要分を考える暮らしは
はじめて良かった。

いるものを買えばムダ遣いはなくなる。
そういう、気がする。


欲しいモノを買って
必要な分だけ補充する。

今年はいい年になります。
貯金を増やしたり、身になる仕事をしたり
心身共に輝ける年にします。