私の暮らし

発達障害の子供たちと小さくミニマムに暮らしていくのが目標です。

子連れで美容院

去年の10月に行ったきりいけてなかった美容院へ先日いってきました。

ホットペッパービューティーを使って。

子供を夫にお願いするとなると
土日しかない。

でも土日はそれぞれで用事があったり
疲れて寝ていたい、なんてことも。

なので気が引けて予約をいれられずじまいだった。

月日が過ぎて毎日鏡を見るのが憂鬱になると鏡を見るのもなくなり
適当にくくっておしまい。
外見?なにそれ?
みたいな感覚で過ごしていましたが

さすがに娘にも
「その頭、どうにかしたら?」

その頭よばわり。

悲しくて悔しくて
ホットペッパービューティーを見ていたら

子連れでもOKな美容院を発見した。

ファミリールームがあり
個室になっていて
終わるまでずっと個室で過ごせる。

これだわ!と予約してその日のうちに行ってきました。

本当に行って良かった!

頭はさっぱり。気持ちもすっきり。

もうその頭呼ばわりされない。


個室内は小さなプレイルームみたいになったいてテレビをみたりおもちゃで遊んだり、絵本なども読める。

おやつやジュースを持ち込んでも
大丈夫で、娘は好きなように過ごしていた。

時おり雄叫びをあげてもスタイリストの方はニコニコ(o^-^o)

ここで顔がひきつかれると
あー、申し訳ないなぁと思うけれど
ずっとニコニコしてくれていたので
下手にソワソワしたりしなくてすんでよかった。

入室から退室まで個室内で子供と過ごせるので気が楽で
子供も楽しんでもらえたのではないかと思いました。

次いくときは子供も一緒にカットしてもらおうかななどと思えるくらい
気が楽な美容院でした。

しかもファミリールームの利用料金は0。お金とってもいいレベルだと思いました。それくらい居心地がよかった。

もちろん夫にお願いして
本当にのんびり施術してもらうほうがいいのかもしれないけれど

タイミングが合わない!という時にはいいかなと思います。



にほんブログ村 ライフスタイルブログ 小さな暮らしへ
にほんブログ村

シンプルに、暮らしたい。切実に。

もう頭の中がわやくちゃで
こんがらがってとんでもないことになっています。

毎日朝日が上る度頭の中の容量がまたぎゅうぎゅうになるのがわかります。

積み重なってたまっていく。
あぁ、これが貯金ならどれだけ貯まったことだろう。

貯まるのはストレスと悩みだけ。

失うのは心の平和とゆとりと自分らしさとそれとあれとこれと…

無くしてばっかりです(T-T)


切実に。
シンプルに身軽に暮らしていきたいと思いました。

朝、リビングにおりてきて目に入る細々したものをみて萎える気持ち。

片付けたい、どうやって片付けたらいいの?

うんなら捨てちゃえ!と
捨て魔に変わる日も。

片付けかたを考えるくらいなら
考えなくていいようにそのものが無ければいいんじゃん!と安直な考え。

献立も着ていく服も掃除も片付けも
町内会のあれやこれも親族内のあれもこれももう嫌だ!

余分なことを考える余白がもったいないのだ!

ゆとりと心の平和がほしい。


これから切実にシンプルな暮らしを始めたいと思います。

心が少し疲れてます。

こことは、別に子供のことを書いたblogがあります。
そちらには息子、娘の発達障害について書いています。

本来ならそちらに書くべきことなのかもしれないけれど気持ち的にこちらに書きます。

あまりいい内容ではないので
嫌な方はスルーしてください。


今日は受診の日で遠い町にある病院に二人を連れていきました。
朝六時に起きて七時に家を出て
八時に着きました。

九時からの診察に間に合いましたが
この時点で疲労困憊でした。

目を離す間もなくて気を張って
落ち着きのない子供たちなので迷惑をかけやしないかと気を使い
勝手に疲れてしまいました。

着いたと思ったら問診の嵐で
不慣れなうえに子供たちが一人捕まえると一人がどっかにいって
身長を測るだけでも一苦労。

あー、愚痴ばっかり。

こんなはずじゃない。

私はこんな愚痴を言うために親になったんじゃない。
私が選んで来た道。

誰が悪いわけでもない。

わかってるのに、時々
うっかり垂れたよだれみたいにポロリと
こぼしてしまう自分。

そこから制御を無くして
子供に八つ当たりする自分。

本当にばか。

自分が選んだ道なのに。
文句なんか言ったって始まらないのに。

一緒に何があっても生きてくって決めたんじゃないか!

こんなことで、泣きわめいて疲れてたらこの先なんにもしてやれない。

なんの力もないんですって、叫び回ってるようなものだ。

なんの力もなくても
支えていきたい。
力になりたい。
笑っててほしい。

私はきっとまだまだひよっこ
けどめげずに生きていこう。それしかない。

書いたら忘れよう。

笑って一緒にご飯食べよう。

ハワイで暮らしたい


唐突にふとそんなことを思いました。

暖かいといわれるところに引っ越してきたのに例にない数年の大寒波とやらが
数年どころではなく月一くらいで
来てるような気がします。

去年から今年にかけて
2度インフルエンザになりました。
死ぬかもと思うくらいきつかった。
まさかA型とB型両方なるとは思わなかった。

体力が目に見えて落ちて
起き上がるのもしんどいなかで
日々は続いていって
私は本当に病みそうで
きつかった。

ふと寒い寒いと転げ回るなかで
ハワイは暖かいだろうなあと
頭のなかをよぎりました。

年中暖かくて人々は優しくて
食べ物もおいしくて海がきれいで、と
ハワイ旅行をしてみました。
頭のなかだけで。

三年後にはハワイに移住しよう!
と家族にいってみた。

夫 はいはい、わかったわかった。
娘 はあ?バカじゃない?
息子 ハワイは外国でしょ?ぼく英語喋れんから無理。

夢はついえるのか。


引っ越してきてナーバスとやらに
なっているのだろうか?
もうそろそろ七ヶ月越すというのに。

はたまたくそ暑い夏には
北海道に住もう!とか言ってしまうんだろうか?


ここはいいところです。
マスクをしてる人などいないくらい
空気がきれいでおいしくて
静かなところ。

家族がいても
ここにはわたしの見知ったものが
なにもない。

ここで生きていくしかないのに
性根の甘いわたし。

家族といられれば
どこで何があろうと平気、と
向かいの家のおばちゃんはよく言ったけどイマイチわからないや。

寂しいものは寂しい。
うまく呼吸の出来てない感じ。

馴染もうと色を消してみる。
私がどこにいるのかわからなくなる。

ここにいるのはいや。
でも行くところはもうない。
帰る場所もない。

殻の隙間から空を見る。
声やおとがする。
殻の中は良い心地。
風が吹いている。

ざわついている。
もう少し殻のなかに。

UNIQLOと無印で買い物

今日は大きなモールにきて
娘が楽しそうに風船コーナーで遊んでいるので

プラプラ歩いて回りました。

前もって買おうと決めていた
ノートやスニーカーを無印で購入。

ノートはバレットジャーナルを始めるため。

スニーカーは白のコンバースが欲しかったけれどなかなか良いものがないので似ていたものを無印で見つけたので
買いました。

UNIQLOではタックチノを2本。
サイズと色違いで。
あとメンズMのセーターを一枚。

色々テイストもありますが
結局のところ自分は誰かとだだ被りでも気にならなくて

シンプルで買いやすい値段で
洗濯してもOKな素材であることも踏まえて無印やUNIQLOでいいんだと
腹が決まって。

素敵な作りのシャツやパンツをみると心が躍ります。

躍るけど高いし手入れは気を使うし
私はめんどくさいタイプなので

きちんと手入れをして何年も、なんて
土台無理みたいだと思いしりました。

年に数枚だけ外行きように
あればいいのではないかと思うようにもなりました。


俗に言うパチもんを着たり履くことがなんだか恥ずかしかったんです。

でも。誰も多分いちいち見ていないし
気づかれたとして、私の何かが変えられるわけでもないし

気の持ちようなんじゃないか、自分。
と思えるようになって
楽になりました。

してみたい格好をする。
本物は手に入れられなくても
似たようなもので代用はできるから


何を爪先だって踏ん張ってたんだろう。

私はどう転んでもわたしだ。

私以外にはなれないのだ。

胸のうちに従うということ。

最近何かしらと思い付くまま
暮らしています。


つくりおきもやめて、献立ノートも撃沈して、本当に献立や食事作りは
苦手で仕方のない部分。

けれど、しないというわけにはいかない。けれど、しなきゃと思うと嫌気が差して堪らなくなる。


フリーマンだらけの我が家。


それぞれが華麗なる個人プレーだ。


統一感、という世界には無縁。


同じものを同じように同じ時間に食べることすらも難しい。


食べたいものが各々違い、各種揃えるならば中華料理のテーブルみたいになるだろう。


なので、めんどくささを極めた私は
何を作ろうー、と想いをふわふわ浮かせておき、ググッと獲物が引っ掛かるのを待っている。

釣りのような具合に。


私の頭は献立を計画的にたてることがどーしても、できない。
できないことを悩むのはもうやめた。

思い付かない日は
炊き込みご飯
味噌汁
漬け物

子供たちにウインナーかハムエッグをつける、程度である。

それが次の日も続いても
誰もなにも言わないのである。

自分で作りなさいよ、といわれたら
たまらないからだろう。


黙ってでてきたものを食べる。
そういうことだろう。


なので、最近悩むのをやめて
釣りをする。

そして胸のうちに従う。

直感、思いつき。
そういうものをすくいあげて、暮らしている。


きっと今の私は悩むスペースも頭のなかにないくらい色々山積みで
積んでいて考えることができない、のかなと思うことにした。


気づくと同じシャツばかり着ている。
洗って、干して、着て、のエンドレス。
気にならなくなりました。
歳のせいかな。
めんどくささを極めたせいか(;´д`)

考えないのは楽です。
思い付いたこと、落ちてること
拾ったもの、置いてあったもの
釣りで引っ掛かったもの、
そういうのから決めていくのは
今の私にはとてもらく。

考えたけど答えのでないことに
疲れました。今は。

しばらくろくに考えずに
暮らして頭のなかを少な目にしていきたいです。

偏見というのは身の内にある

偏見を持たれたり、それによって差別されること。

それが怖くて嫌で打ち明けられないこともあります。

私の場合でいえば17歳から治療中の精神疾患により自傷行為をしたため
いついかなるときも腕を人に見られるのが嫌で長袖です。

子供たちが発達障害ということがわかっとあと、その事をつい臥せがちになる自分に気付きます。

偏見の目で見られたくない、その想いばかり強くなり先走ります。

けれど一番偏見をもっているのは
私自身かもしれない、そう感じるようになりました。

恥ずかしい、恐い、蔑まれるかも、
そんな想いが先にたち
自分のことを、正確に話することが出来ない。

オープンに出来ない自分が
一番閉塞的で自分に偏見をもっているのでは?と思う。

私は私なんだよ、と自信をもてないで
偏見がどうのこうの言う筋合いはないのかな、そんな気がする。

私は私のことを受け入れられないで
誰が受け入れてくれるだろう?

下手うったっていいや。
無くしても笑われても何が起こっても
そんなことどうだっていい、そう思える強さが欲しい。

私は私なんだよ
知ったこっちゃない!
って笑える強さが欲しい。

偏見に勝つために必要なのは
自分自身の殻を破る勇気。

誰かのために生きているのではなく

私は私のために生きているのだと
強く思える力。

これが私。何か文句でも?

こういって笑い飛ばしたい。