迷える大羊

いみのある日もない日も私は私。どんな自分でも今あるこの世界で生きて暮らして綴っていく。糖質制限始めました。たまに買い物の話も。発達障害の事についてもたまに書きます。

偏見というのは身の内にある

偏見を持たれたり、それによって差別されること。

それが怖くて嫌で打ち明けられないこともあります。

私の場合でいえば17歳から治療中の精神疾患により自傷行為をしたため
いついかなるときも腕を人に見られるのが嫌で長袖です。

子供たちが発達障害ということがわかっとあと、その事をつい臥せがちになる自分に気付きます。

偏見の目で見られたくない、その想いばかり強くなり先走ります。

けれど一番偏見をもっているのは
私自身かもしれない、そう感じるようになりました。

恥ずかしい、恐い、蔑まれるかも、
そんな想いが先にたち
自分のことを、正確に話することが出来ない。

オープンに出来ない自分が
一番閉塞的で自分に偏見をもっているのでは?と思う。

私は私なんだよ、と自信をもてないで
偏見がどうのこうの言う筋合いはないのかな、そんな気がする。

私は私のことを受け入れられないで
誰が受け入れてくれるだろう?

下手うったっていいや。
無くしても笑われても何が起こっても
そんなことどうだっていい、そう思える強さが欲しい。

私は私なんだよ
知ったこっちゃない!
って笑える強さが欲しい。

偏見に勝つために必要なのは
自分自身の殻を破る勇気。

誰かのために生きているのではなく

私は私のために生きているのだと
強く思える力。

これが私。何か文句でも?

こういって笑い飛ばしたい。