雑多にくらす。
先日書いていたドアノブの件ですが
経年劣化でいけそうとのことでした。
ホッ。
今日は朝から来客があり早く起きて部屋を掃除しました。
掃除していて感じるのはなんだか片付かないなぁということ。
片付いてる風なだけでなんだかザワザワしてる感じです。
捨てても減らないし買っちゃうし、私ひとりの権限では捨てることもできないものが沢山ある。
無駄遣いをしない、と決めても片付かないという時点でそれなりにお金は使っているということ。
もし買わずに減らすだけならもう少しこざっぱりしてたっていいはず。
減らしては買っているから現状維持みたいになっているだけ。
人が暮らすのに数多くのものはいらないのだ、と言う人もいるがなければ無いで暮らせるだろうけれどそれが人としての暮らしとして成立するかと考えると私個人としては無いなら無いだけいいとは言い切れないと感じている。
モノが多くとも心穏やかで暮らしが成り立つならそれもありなわけで、少ないから幸せがくるといってしまうと私の暮らしには少なくとも馴染まない。
生きていくのに必要なものだけでは暮らせないから、というのが理由。
いつかいるものなんてその時買えばいい、それはそうだけどそのたびに買っては捨てるのはもったいない。
人の頭のなかに雑念が溢れているように
暮らしの中にもカテゴリーに納めきれないなにかが雑多とあってもおかしくないのかなって思っています。
だからといってむやみに買っては増やしは良くないですよね(-_-;)
家にものをおくと、それが少しずつ増えていくと自分の家になる感じがして。
多すぎて嫌になるんだけどみんなの家だから、いると嫌だけど落ち着く。
時々何もない部屋に憧れるけれど
それは今じゃなくてもいいと思っています。
いつか子供達は独立して夫婦だけになる。
その時も同じ気持ちでいたら始めればいいかな。と思います。