私の暮らし

発達障害の子供たちと小さくミニマムに暮らしていくのが目標です。

わかる、って言ってくれるだけで救われることって多い


タイトル通りにそう感じたことが最近ありました。


わかってるかわかってないかなんて
どうでもよくて

わかるよ、って言ってくれただけで
悩みが悩みじゃなくなって
感じてることに変わっていく気がする。


同じこと、思ったよね。
そうそう、大変だったよね。


それだけで水面の底から自分を助けようと手を伸ばしてくれてるけどすくわれきれずにその手を見送る、みたいな取り残され感からほんの少し、前を向ける。


手を掴んでくれて引っ張りあげてくれて、
大変だったよねー?

それだけで救われた気になれた。わたしは。


うん、大変だったんだよと。
うん、しんどかったよと。

誰かと同じ気持ちが自分にも相手にもあって
わかるよー、って言ってくれただけで
融ける感じがして。


現実問題として、明日もこれからも
自分が抱えていくこと、関わることの重さもしんどさもきっと変わらない。

だけど通りすがりの誰かが
わかるよー、それだけでこの重苦しさは
少しだけど軽くなれる。


この気持ちは自分にしか
わからなくて、この気持ちはこの世界中で自分しか味わっていないのかもと思うと辛くて
世界はどうですか?そう聞きたくなる。

そのとき、私もだよ、って人がいたら
あぁ、自分だけじゃないって。

みんな乗っかってるもの抱えて今日も生きてるんだと思えたら私もやんなきゃ、と思えた。


まったく同じものじゃなくてもいい。


抱えて歩くしんどさがあなたにもわたしにもあのこにもあるんだよね、って見えてきたときに
感じる重さは変わる。

なにも見えなくて見てなくて
下だけみて、ああ辛い。どうして私ばっかり。
そう思ってしまうことがある。

俯いた自分の背負う影の大きさだけに目をとられて足元も先も見えなくなって見なくなって。

横を通りすぎるはつらつとした声の誰かに知らぬうちに嫉妬をして。


そうしてわたしは生きてきて悲しむことしかできなかった。

けれどふとこの言葉をポーンと投げてくれた人がいて

うん、ほんとにね。


そう思えたらスッとした。

ほんとにね。ほんとに、しんどいよね。

でもこれはこれだよね。
いつか減るよね。

なんかそう思えたら
足取りも悪くなくなった。


悩んでても変わんないけど
どうにかしていこうと思えたら変えられることもある。

変えられなくても
共に生きることって、こういうことだよねと
感じられる。

辛くなくなったら少しだけでも笑える。

笑って暮らしたい、そうしたら
子供たちを真っ直ぐうけとめられる、そんな気がしている。

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