KOKOTI

いみのある日もない日も私は私。どんな自分でも今あるこの世界で生きて暮らして綴っていく。糖質制限始めました。たまに買い物の話も。発達障害の事についてもたまに書きます。

蒔いた種が。

 

そんな風に感じることばかりだ。

 

それは誰のせいでもなく私自身の問題なのだろう。

 

全部私自身が蒔いている種が芽を出して

表面化しているだけのこと。

 

何もかもがうまくいかないと感じた時私はいつも自分を呪う。

全部自分のせい。

 

すごく暗いことを言っているけど

こうしていると心はマヒをして感じ方を鈍くしてくれる。

それが引き金になって私はいつもその跳ね返った銃弾を浴びるのだ。

 

それは時として罵詈雑言となり。

それは時として痛みを伴う視線や態度のように。

まとわりついてそばを離れない。

 

「おまえのせいだよ」と泣きながら私が震えている。

私の蒔いた種から私の亡霊が生まれて育って

やがて私を陥れる。

けれどそれは想定内のことで

私は繰り返し己の亡霊を生み出しては退治して

そうやって生きてきたのだ。

 

なんの救いもない、そんな気がする。

救いはどこにもない。

私が私を底から救い上げてくれなければ

この闇は続いていく。

 

私が私を求めて信頼しない限りは

私の救いの主は現れない。

 

あぁ、なんて暗い記事なんだろう?

 

この記事をPCから書いてみた。

とんでもない時間がかかる。

それでもスマホで打つより心が少し穏やかだ。

 

スマホなんて意味のないものを持ち続けて

更新し続けていく自分にも嫌気がさす。

それでも嫌気がさしていることすらも

やめる勇気がない。

 

いつも自分を好きになりたいと

大事にしたいと思って来た。

でもこんな記事を書いている有様なんだ。

 

頑張ってる、と言ってみる。

私頑張れてる、そう思ってみる。

 

僅かな自信をいつも打ち砕くのは

自信を無くした私。

 

人対私。

先生対私。

世間対私。

親対私。

園対私。

 

なにかといつも戦っている。

 

何かや誰かのことに心を砕き

頭を悩ませる。

 

誰かや何かといつも折り合いをつけて生きていこうとは

しているけど

私はいつ私のために心を砕き悩み考えるのだろう。

私がわたしのために生きるのはいつなんだろう。

 

いまこのときからそう決めて

生きるしかない、のに

私はまた踏み出せなくて

地団太を踏み続けるだけなんだ。

 

何がこんなにこわいんだろう?

なんで踏み出せないのだろう?

 

誰かの目を見て話してても響かないみたい。なにも。

 

そう思い込んでいるんだっていつも誰かが教えてくれる。

 

自分でもわからないよ。

どうしてこうなんだろって。

 

向けられるのは痛い視線と

無言の力。

 

何がいけないんだろう?とよく考えたけど

考えるのはやめたいな。

考えても答えがない。

答え通りに生きられないから不幸だなんて

思いたくない。

 

こんなことをツラツラ書くのだって

無意味なのかもしれない。

 

書いて体の外に出したい。

自分という毒にやられてしまうまえに。