私の暮らし

発達障害の子供たちと小さくミニマムに暮らしていくのが目標です。

おかずを作りすぎると言われるわたし。

私の子供時代は貧乏でした。
親子三人+祖母と15万で暮らしていました。
明日の寝床や食事に事欠くことはありませんでしたが
贅沢は敵だ!とかそんなレベルどころでは
ないくらい。
贅沢ってなに?というくらい。

エアコン、車、パソコン、電話も私が成人するまで
ありませんでした。

文明の利器といえる洗濯機と独身用冷蔵庫に小さな
テレビ。まだテレビデオのあった時代のものが
あったくらい。

こたつとストーブ、そんな程度。

そんな我が家の夕飯は大皿いっぱいのおかずに
ごはん、箸が立つほどの具たくさん味噌汁に
冷奴か納豆がつくのでした。

おかずが一皿しかないのは当たり前だったけど
世の中はそうでもないことを知り
貧乏だな、おまえんち。
そう言われて
あぁ貧乏なのか。と思いました。

ただ貧乏だと言われても毎日暮らせていたので
私自身は不便だと思うこともないままでした。

母は人は人。うちはうち。
とよく言っていたし
ピアノや車やエアコンやゲーム機があるのが
羨ましいとも思いませんでした。

無いのが当たり前だったから。
無くても困らなかったから。
みんなが持っているものを持っていなくても
私は十分幸せでした。
母がきっと私が家を出るまでの20年、何の心配もなく
幸せにしてくれていたんだと今は想います。

数回しか行けなかったけど旅行に行ったこと。
花火をみたこと。
魚釣りをしたこと。
夏になると涼しさを求めて朝から晩まで
あちこちふらついたこと。

ひとつひとつは小さくても
ちゃんと覚えている。
悲しくも苦しくもなかった。


貧乏で迷惑かけるねと母はたまに言ったけど
そのかわり、といって
おもちゃやゲーム機は買えないけどもと
本は買ってくれた。
お菓子も1日一個だけならと買ってくれた。

たまに本屋さんに行ってどの本にしようか悩むのも
スーパーで今日のぶんのおやつを悩むのも
どれも楽しい記憶。

うちには父さんもお金もみんなが持っているものも
ありませんでした。でも幸せでした。

そんなことをうつらうつら思い起こしながら
夕飯を作ります。
子供の頃、幸せだったけどおかずが一皿は物足りなくてつい、今の私はおかずを作りすぎてしまいます。

何皿もテーブルに載ってるのが
自己満足なんだとわかっていても子供達には
たらふく食べてほしくてそうしてしまいます。

当然余るから夫にも
作りすぎなんだよ、と怒られます。
今日明日で食べきれる程度にしないと
もったいないでしょうにと。

私にリメイク力がないので翌日も同じおかずを出します。だから子供は飽きて食べないのよと夫は
言うのです。

リメイク力がないのならちょこちょこ
小さいおかずを日替わりで作ってみたら?と
言います。

材料の無駄と飽きることを回避出来るからと。

私は同じおかずが続いてもへっちゃらですが
最近の子は⁉そうも行かないのでしょうか(--;)

一汁二菜に小鉢と汁物。
これが完成出来るよう勉強しようと想います。


私が今、ものを減らす暮らしを始めようとしているのは幼い頃の自分に還りたいからなのかもしれません。

何もなかった。でも幸せだったから。
ものは便利だけど全てじゃないから。
幸せだと感じる日々をもう一度送りたいな。



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