私の暮らし

発達障害の子供たちと小さくミニマムに暮らしていくのが目標です。

模索、服の山、固定観念

モノを捨てて身軽になろうと決意したものの 
なかなか捨てられない物があります。

格別に気に入ったものがあれば
他になくても欲しくなることはないのだろうと
漠然と考えていました。


今のわたしの持ち物は
たくさんあるのに着るものがない、使えるものがない
という状態。

ひとつひとつは気に入っているのです。
でもトータルして考えるということが抜け落ちていたからか合わせるのは至難なのです。

青、紺が好きでワードローブのほとんどが
ブルー系であることもそうだし
日常着としてはややしゃれていて
ただの送り迎えにはいささか場に合いません。

でも一枚一枚は気に入って買ったのです。
今も気に入っています。
眺めても着てみても嬉しくなる一枚です。

でもトータルコーディネートしてみると
しっくりこない。 

この繰り返しの中にいます。

そして日常着としても眺めても
嬉しくなる一枚を求め
買い換えであることもあります。

何度も失敗しながら手持ちのものとどういうものなら合うのか、これは絶対好きだ!使える!というものを
選び当てることも今最中です。

買ってみては着て、合わせる。
合わせられないと判断したらオークションなどで
お譲りする。
そしてまたこれはどうかな?というものを買ってみる。

クローゼットの中は出たり入ったり
せわしないです。

着たことのない色や形、素材
試してみる価値はあるのではないかと思っています。


私は固定観念が強すぎる人間です。

気に入った形、色、素材に固執する。
自己満足なんだからいいでしょ、べつに。
と思っていながらたまに外出先の鏡に映った自分の
いでたちをみてがっくり、することも多々あります。

確実に年をとってきているのに
好みが変わらないまま固執して着ているだけで
似合ってもいない、むしろ年を重ねた顔から浮いて
そのことにショックをうけるのです。

変わらなければなりません。
確実に年をとり、肌の色も立ち姿も動作も
変わってきていて体のラインも変化している。

着ているものだけが年をとっていません。
昔から好きだったものを今でも選び好むから
外は変わりません。

でも変化は隠しきれません。
隠して覆おうすればするほどわたしの中身から
外見も持ち物も概念も遠のいていきます。

年を重ねた自分の変化を
見ないフリをしていてはだめですね。

私、リネンが好きなんです。
長年読んできたナチュラルファッション系の雑誌に
洗脳されてしまっているから。

長いこと愛用することでくったりし、風合いがでて
いい感じになるのよ、そんな言葉が
リネンを選ぶ思考に繋がっています。

少ししか着ていないのにすぐに襟や袖がのびて
毛玉や色落ちがして使用感が出てきてしまうような
服しか買ってこなかったから

経年劣化などせず自分好みに変化させていけるといわれるとそちらが少々高くてもいいんだろうなと思ってしまった。

安いからという理由だけでモノを買うと心が貧しくなる。お金から縁遠くなる。

少々高くても気に入っているなら
大切にするし、長持ちするから頻繁に買わなくてよい。
そんなこともあちこちで読みました。


わたしの中の思考はあらゆる世界のあらゆる人々の思考であったのだと想います。

私が辿り着いたのではなく
人の真似をしようとしている。

いいものを着て、気に入っているんですと
クローゼットを見せ愛着を語り
これが私の定番なんです、と笑う。

その風景にわたしは憧れていたのです。

少数精鋭ながら1着1着少々高額なものを揃え
ついついこればかり手にとっちゃうんです(*^-^*)
ていう雑誌によくある一面に。

それが似合う人もいるし
それが無理なく馴染んでいる人もいます。
私はそういう分類ではなかったということ。

少々高額な服は着ているだけで気が咎め
ひっかけやしないか、シミがつきはしないか
シワになっていないか

その服を着ている間その服のことばかり
考えねばならない拘束状態でした。

あまりに安いと
一度洗濯して干しただけで伸びて型崩れして
外出には不向きになるものも多い。

そこから一歩進んで少々高額から3歩下がる。
そのちょうどよさを今グジグジしながら
模索しています。

模索は苦しい。
自分を試し続けるし、何をどう着たらいいのか
悩まねばならないうえに
着るもののことを考え続けなければならない。

そういう世界から飛び出したくて
今洋服の山の中から新たな世界をと
模索することにしました。

服や靴、靴下、バッグ
私の中の固定概念。
打ち砕け、飛び出せ❗

そう思いながら
そう思いながら、。
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