私の暮らし

発達障害の子供たちと小さくミニマムに暮らしていくのが目標です。

気が付くといつも同じ服を着ている。

昨日も今日も同じ服を着ていました。
昨日洗って干したものをまた着て出掛ける。

ということにいささかの干物感を覚えつつもまあいいかと思うことにしました。

出掛けるとなったとき、ぱっと手に取ったということはそれだけその服を使いやすい、着やすいと自分が信頼を置いているともいえるのかなと。

似合っているかも多分きちんと見極めないといけないのだろうけど
着ていて好きなものはきっと人から見てぱっとしなくとも個人的にはほぼ満点な気分だ。


色は白のシャツにベージュのチノパン、それに濃いブラウンの靴。

黒の斜めがけバッグをかけて
時計をして終了。

これで
ぱっと出られる。

ぱっとしない格好。でも
ぱっとできる格好。

これからの服選びに少し
光が射してきた気がする。
少し楽しみだ。

こうしていくと何が残り
何が捨てられ、何を買い足すのか。
そんな自分の訪れを。

むやみに私を傷付けないということ。


それは私の思う価値観からくるもの。

私は勝手に私を傷つける。

なんの確証もなくなんの手だてもうてないままで。

誰かに傷つけられる、そんなことあっちゃいけない。

誰かの怒りを買っても
傷つけられることを当たり前と思っちゃいけない。

私はいつも不条理に私を傷つける。

自信をなくして
劣等感に抱かれて
不信感にグルグル巻きにされて

私は不用意に私を傷付ける。

人を傷つけられない。だから
自分を傷付ける。
痛くて悲しい。
でも誰かの怒りを買わないように。
恨みを買わないように。
嫌われないように。

そうして息を潜めて生きてしまう。

私は私のままで生きていたっていいのに。

自分を好きになると思わず付け上がる私が見える。
自己愛の塊は嫌われると本で読めば
自分を愛するってなんなのかわからなくなる。

愛しても愛しきれない。

こういう悩みの中にいる自分。

光はどこにある?

捨てる前提でものを買わない。

どうにもうまく物が減らないなあと考えていました。

そして今朝、ネットで素敵なパンツを見つけました。

これを買うことにして、あれとあれは捨てよう、と頭の中で思いました。

気づけばこの繰り返しで物が減ったためしはありませんでした。

むしろ、気に入るものを見つけるために新たに買うけれどイマイチでまた次を探している。

これがイマイチで素敵なのが欲しいからと今手元にあるパンツはもう捨てる気満々でいるのです。

となるとそれを穿く気にはならず
新しく気に入ったその一着があればこの気に入らないパンツを捨ててしまおうと思うのです。

捨てる気満々で新しく物を物色するのは私にはとても向いていない行為でした。


気に入るものに出会うために買い続ける行為は結局何も残らず
お金が減り物が場所をとるのです。

えいやと、捨ててしまえたらいいけれど
あれこれ理由が浮かぶもの。

フリマアプリで売ればいいと思いながら出品が面倒くさくそのままだったり

痩せたら穿けるかも?とど定番のことを思ったりも。

この服があるうちは新しいのは買えない、とげんなりし着もしない服が増えるばかり。

そこへ目に飛び込む好みの服。

これを買うからあれもこれも捨てるしいっか!と言い聞かせてまた買ってしまう。

その繰り返し。
これは私の場合ですが。

とここまできてじゃあどうするのかという答えは出ていません。

まだ私もわからずじまいです。

どういう買い方がいいのか、多分これがあればもう他の服はなくてもいい!と思えるくらいの洋服に出会おうとするのをまずやめてみようと思いました。

そして手元にある服を見渡して
まず今いるかいらないかでわけてから
考え直す機会にと思います。



にほんブログ村 ライフスタイルブログ 小さな暮らしへ
にほんブログ村

太ったこと、それに伴う問題点

久しぶりにモールで自分の体型をマジマジ見たことでより慎重になる反面
少し自棄になってきた私もいます。

試着をすることを欠かさないでいたのに
試着をするたび酷い体型の自分を目にすることでいやになり

試着をせず何着か買ったもののやはり
体型に合わずほんとに無駄なことをしました。

マジマジ太った自分を見るのが嫌で嫌で。

痩せて見える格好をするより
痩せたほうが早いじゃんと思って
エクササイズややめていた糖質制限を少しずつ始めました。

あと嫌でも試着をすることで
似合う色や形を少しずつですが習得できてきているようなことも。

例えばワイドパンツを買うにしても
タックありと、なしでは違いがあるし
シャツの襟があるか、なしかで
顔回りのスッキリ感が違って見えたり。

今まで鉄板と思ってたものも
実は変だったり、手持ちの服と合わないことを見つけたりと発見があります。

それに伴い今まで好きだったもの、よく着ていたものを捨てて

新たに買うときも試着をして
固執していたアイテムが実は着回せないし着る機会も少ないことなどを改めて考え直す機会になりました。


リネンとかすごく好きなのに
私が着ると服のシワがみっともなくて
くたびれたようにみえたりして
好きだけどやめるときなのかもと考えていたりします。

娘にももう少し年齢にあった、こざっぱりとした感じがいいのでは?と言われます。

若さやおしゃれより、まず年齢にあう
清潔感のある格好をしなさいよ、という意見を受けて

益々今まで通りではもう無理なのかもと
思うようになりました。

しばらくの間わたしの出で立ちは
試行錯誤を余儀なくされるのでしょうが
納得のいくスタイルを見つけられたらと思います。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 小さな暮らしへ
にほんブログ村

チュニックはもう無理。

この間モールを覗きました。
素敵な服を見つけて
お値段も手頃だし、こういうの欲しかった!という着丈のチュニック。

即買いしそうになりましたが
ここは冷静に。
きちんと試着を。

改めて試着をしました。

全身が写る鏡を見て
ひどい。そうとだけ思いました。

私の穿いていたボトムには合わない上に中途半端丈がおばさん臭さを醸し出している。

全身を改めて見たことで
肩が丸くなっていたり思っていたより足が短いことや腕回りの太さが目にはいり
それはもうこの世の終わりのくらいの絶望(T-T)

絶望の果てに見いだした答えは

中途半端な丈はもう無理。

膝上やおしりの隠れる着丈は
私にはほんとに似合ってなかった。
体型があぶりだされて隠れてない!

チュニックにレギンスももう無理なことを悟り家に帰って即効捨てようと決めたくらい。

あまりにショックで、だけど着てみて鏡に写してみてほんとに良かった。

こんなに似合わないとわかったから。
こんなに似合わない服を買わずに済んだから。

試着と全身を改めて見るのはとても大切なこととしりました。

足って真上から見るとほっそりしてる。けど真正面からみるとそんなことない。
ありのままの足がそこにある。


鏡よありがとう。
試着するべきと書いてくれてた人ありがとう。

現実をみるとショックだけど
きちんと知ることでどんな服が似合うか似合わないかを知ることができます。

1980円の服でも着てみるべきです。
値段に関わらず無駄な買い物をしない、ということは大切なこと。

ということで着るなら膝下丈のものか
着丈がおへそ下、骨盤辺り程度までのものにすること。

ただ、暫くはチャリ送迎になるので
長いワンピースは着られないので
買い足さず着丈の丁度よいブラウスやシャツを探そうと思います。

スカートやワンピースは土日の車で出掛けられる時のみとして
普段は動きやすく着やすいものにしていこうと思います。


にほんブログ村 ライフスタイルブログ 小さな暮らしへ
にほんブログ村

エジソンのお箸を買う。

f:id:imiaruhibiwo:20180315141613j:plain

エジソンのお箸を買いました。
今娘は四歳。
今年幼稚園に入園します。

箸を使えるようになりたいと
常々このお箸を欲しいと言っていたので
今日とあるお店で見つけました。

色は好きなピンク。

少し遅い入園となりましたが
自閉症にも理解があり、親身に対応してくださったのでお願いした次第です。

入園グッズをあれこれと楽しそうに選ぶ娘を見て少し遠くてもこれで良かったと今は思います。

息子は今週調子が悪く
朝になると行き渋りがあります。

毎朝今日は行けるのかな?と思いながら見守っています。

なぜ行きたくないのか、きっと彼自身も理解できていないんじゃないかなとも思います。

明確ななにかはまだなくても
辛いと思う気持ちは大事にしていきたい。

今は逃げているだけでも今はそれでもういんじゃないかと。

今だけを考える。
それが正しいかそうでないかは
よくわからない。

でも今、辛くてしんどいなら
私だけでもいいよと言いたい。

しないことリストをつくる。

しなくちゃならないことばかり!
もう嫌になります。

でもいつだったか、爆発したときのこと。

夫はこう言いました。


「しなくていいよ」


「だって、私がしないと家が片付かないでしょう?ご飯だって私が作らないと出てこないでしょう?お風呂だって、布団敷きだって…」


「それならそれでいいよ。しなくても困らない。誰も。しなきゃいけないと怒るくらいならしなくてもいい。笑ってくれてるなら少々家が汚くてもお風呂が遅くともご飯がレトルトでも別にいいんだ。お母さんがキーキー怒ってることの方が困る」と言いました。

ふへーそうなのー?

とこのときの私は腰が抜けた思いでした。私がしないと誰もしないでしょ。って思い込んでいたんです。

私がしなくても誰かがやればいいんです。各々が困るなら。

困るのが困る人がやればいいんです。

私がしないといけないことなんて、そんなにないこと。
しないといけないと思うから余計に嫌になること。

それを知ることができた。
私は私がしっかりしないとと思い上がっていて、私がこの家を回しているとのぼせていて

家族でこの家で暮らしていることを
すっかり忘れていた。


しないとということに縛られていたのはわたしだけ。

周りはそうでもない。
各々がしたいことをしている。

私はそれを横目に見ながら出来るけど自己犠牲に奔走していて
出来ないと思い込み自由気ままな家族に腹が立っていた。


やらなきゃ、はやめました。


やりたくなければしない。
それでいい。


家族のために頑張っているのにと勝手にいきり立つ方が家族は困っていたみたいです。


やらなかったことは誰かがします。

もう考えないこと。
深く考えるのをやめます。

なんで?どうして?
と思うのもやめます。

モノの数を数えて一喜一憂するのもやめます。

使わないものはそのうち淘汰されるでしょう。

楽に生きていきたいと切実に思いました。

でないと暮らすのが楽しくない。

せっかくなら楽しく暮らしたい。
あれもこれもやめてしまおう。

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 小さな暮らしへ
にほんブログ村