KOKOTI

いみのある日もない日も私は私。どんな自分でも今あるこの世界で生きて暮らして綴っていく。糖質制限始めました。たまに買い物の話も。発達障害の事についてもたまに書きます。

素の自分になったら好かれるってなんでよ?


昨日立ち読みした本にあった一節。


心の中にローリングなんたらが巻き起こるくらい衝撃的でした。


今の今まで素の自分を見せられない。
そんな上辺な付き合いはしたくない!って
上辺を装うから好かれないんだと
思っていた。


けどこの一節のように

素の自分になったら好かれるか?


これは正直ハテナなんだね。という。


素の自分になったら、逆に今あるもの無くしちゃうかも?みたいな。

嫌われて誰もいなくなるかも。


目からウロコ。ウロコ雲の空みたく
目からウロコがハタハタ飛んでって
価値観ぶっ壊されてっていう。

作ってなんぼ、なんだろうなって。

みんな、ナチュラルに生きてたいけど
不自然に生きるしかなくて
それが一番結局いいんだねみたいな。

だってホントはこいつ大嫌い!って思ってても大嫌いだよ、お前のこと。とは
明日ここを引っ越す覚悟じゃなきゃ言えない。

私の素を知って、去る人、来る人、どれくらいいるだろう?

自然を作っていく時代。
自分を自然に作っていくのだって
当たり前の時代。

きめたことは悪あがきしないということ。

友達、いたらなにか違ったのか。

友達と呼べる人は今までの人生に
ひとりもいない。

それって恥ずかしいこと?

話し掛けられても何を話したらいいのか
わからなくて頭が真っ白になる。

いつの間にか空気の読めない、暗い人になっていてそのまま大人になってしまった。


ため息をついても何も変わらないし

いきなり友達だよ!と誰かが現れてくれるはずもないから空を見よう。


私には私を必要としてくれる家族がいる。
それは有り難いこと。

この広い世界で好き!って言ってくれる人がいるだけでここまで来た意味はあった。

嘆くのは今はよそう。

辞めます辞めます、辞めてどうする?


ああ、最近の私です。

ネットに本になんやかんやと刺激はあり
やってみようと奮起してみたり、やってみて撃沈してみたり。

ほんとに踊らされてる。


踊らされてるんです、わたしは。
確固たる信念もなく、盾も、なす術もなく
踊らされてる。

いいことにも悪いことにも。


糖質制限はやる、と決めて継続できてます。

今日まででマイナス2キロ。

たった2キロ、されど何もしなかったら減らなかった2キロ。

これからもやり続けていきたい。

辞めたいのは踊ること。

〇〇の暮らし、持たない主義、減らす主義。

子供を叱らずに育てる、〇〇ダイエット。

ぜーんぶ続かなかったこと。

信念がなかったら失敗したんだと個人的には思う。

真似をするのはいいこと。
でも真似から脱せないのはよくないこと。

私は真似ばかり。
指南書を読んでそのまんま。
なんのアレンジも思考も加えず
書いてあるとおりにやる。
だから、その次が、ないのだ。そして頓挫する。

元々の精神が培われていなかったから
指南書が終わるとチャレンジも終わる。
その繰り返し。
自分自身の手応えを感じることもなく
アレンジを思いつくこともなく。

そうすると、あれも辞めます、これも辞めます、それも辞めます、辞めます宣言だけ。

辞めてからじゃあどうするの?自分。

新たに生み出すことも出来なくて
既存のものは早々に見切りをつけたのに。
じゃああとは私自身の生き方、暮らし方を模索するしかないんじゃん。

と、今朝ここまで思って。

私らしく生きていたいんです、なんて言いたいなら動かなきゃ。

もう踊りたくないな。疲れたな。

もうそろそろ、座って景色を見たい。

実の親に嫌われたっていいじゃん。

自分の母親は毒親なのかな、とふと思ったのでした。

仲がいいとか悪いとかそんなんじゃなく
親子だから、いる、みたいな
そんな距離感。

子供の頃から振り回された想い出が多い。


光っては消えて、消えては別の色が光って…っていうクリスマスツリーに絡めた電灯みたいにコロコロ変わる心。

それに振り回されて
五分前で決まっていたこともひっくり返して、おじゃんにする。

そんな感じの、人である。

親は鬱陶しい、そう思っていた。
けど、なんやかんや頼まれると断れない自分がいて。


いつも面倒なことは人に丸投げで、損な役割ばかりだったのに。


いつの間にか、他人どころか実の親にさえ機嫌をとって嫌われないようにって思っていた自分がいたことを知った。


メールが来た。

「いついつ、遊びに行きます。都合はどう?」

私は家族に都合を聞いてみる、と返信した。

「私はもう仕事を休んでしまったのに、なんなの?」

とキレ出した。

機嫌をとろうと謝ってみると
ご機嫌になりはじめる。
あぁ、不毛なことしてるわ自分。

そう思ったら泣けてきて

「ごめんね。今回は都合があわないようです。またにしませんか」

母親は烈火のごとく怒り始める。

娘に「忠告」というタイトルでメールを送ってくるくらいなんだから
よほどご立腹なのでしょう。

ああ、もう嫌われてもいいわ。もう。

そんな気持ちになった。

なんで好かれてたいなんて
考えたんだろうと。

いいじゃん、実の親に嫌われたって。

相容れないんだから。
もう無理するだけ不毛なことなんだから。

親しか頼るものがなくて
すがり付いてたのは遠い昔。

人一倍感謝もしてる。
生んでくれてありがとうって思う。

でも、あわないんだ。
あなたとは。
それだけ。

もう、無理しません。
会いたくなったらそう想えたらメールします。

いつの日か。

蒔いた種が。

 

そんな風に感じることばかりだ。

 

それは誰のせいでもなく私自身の問題なのだろう。

 

全部私自身が蒔いている種が芽を出して

表面化しているだけのこと。

 

何もかもがうまくいかないと感じた時私はいつも自分を呪う。

全部自分のせい。

 

すごく暗いことを言っているけど

こうしていると心はマヒをして感じ方を鈍くしてくれる。

それが引き金になって私はいつもその跳ね返った銃弾を浴びるのだ。

 

それは時として罵詈雑言となり。

それは時として痛みを伴う視線や態度のように。

まとわりついてそばを離れない。

 

「おまえのせいだよ」と泣きながら私が震えている。

私の蒔いた種から私の亡霊が生まれて育って

やがて私を陥れる。

けれどそれは想定内のことで

私は繰り返し己の亡霊を生み出しては退治して

そうやって生きてきたのだ。

 

なんの救いもない、そんな気がする。

救いはどこにもない。

私が私を底から救い上げてくれなければ

この闇は続いていく。

 

私が私を求めて信頼しない限りは

私の救いの主は現れない。

 

あぁ、なんて暗い記事なんだろう?

 

この記事をPCから書いてみた。

とんでもない時間がかかる。

それでもスマホで打つより心が少し穏やかだ。

 

スマホなんて意味のないものを持ち続けて

更新し続けていく自分にも嫌気がさす。

それでも嫌気がさしていることすらも

やめる勇気がない。

 

いつも自分を好きになりたいと

大事にしたいと思って来た。

でもこんな記事を書いている有様なんだ。

 

頑張ってる、と言ってみる。

私頑張れてる、そう思ってみる。

 

僅かな自信をいつも打ち砕くのは

自信を無くした私。

 

人対私。

先生対私。

世間対私。

親対私。

園対私。

 

なにかといつも戦っている。

 

何かや誰かのことに心を砕き

頭を悩ませる。

 

誰かや何かといつも折り合いをつけて生きていこうとは

しているけど

私はいつ私のために心を砕き悩み考えるのだろう。

私がわたしのために生きるのはいつなんだろう。

 

いまこのときからそう決めて

生きるしかない、のに

私はまた踏み出せなくて

地団太を踏み続けるだけなんだ。

 

何がこんなにこわいんだろう?

なんで踏み出せないのだろう?

 

誰かの目を見て話してても響かないみたい。なにも。

 

そう思い込んでいるんだっていつも誰かが教えてくれる。

 

自分でもわからないよ。

どうしてこうなんだろって。

 

向けられるのは痛い視線と

無言の力。

 

何がいけないんだろう?とよく考えたけど

考えるのはやめたいな。

考えても答えがない。

答え通りに生きられないから不幸だなんて

思いたくない。

 

こんなことをツラツラ書くのだって

無意味なのかもしれない。

 

書いて体の外に出したい。

自分という毒にやられてしまうまえに。

 

 

 

 

糖質制限。

今日はうだるような暑さ。
そんななか、チャリで30分とかけて学校へ行き、期末テストを頑張った娘は本当にすごい。


今も明日のため予習をしている。
まさにトンビが鷹をうんだパターンだ。

いつだったかの記事で
生協にははいらねぇよ、という趣旨の事を書いた。 

が、ところがどっこい。

私は生協に入会することにしました。

毎日買い物に行くのが不便なうえ
チャリではまとめ買いもあまり出来ず
天候に左右されやすいため
生協を頼むことにした。

とここで今朝の体重が65kgになっていた。びっくりだ。

でもお茶を飲んだら増えた(T-T)


寝る前にもう一度測って
65kg。

体脂肪は29.7になった。

ほんの僅かだが減り傾向だ。

たまに糖質に心が揺れる。

デミグラスソースたっぷりのオムライスなんて見た日にはもう食べちゃえばいんじゃね?みたいな気持ちにすらなる。

でもここまできたし、何より僅かだが
減ってきたことで細々とでもやり続けようと思う。

朝 黒ごまきなこヨーグルト
昼 0麺「ささみ、納豆のぶっかけ」
夜 ベーコンステーキ、冷奴、油揚げと豆腐の味噌汁、無限キャベツ

体重65kg
体脂肪29.7

人間関係という概念


私はメンタルクリニックに通っている。

主治医は女性で
凛とした空気の賢そうな人だ。

ただ生易しいことは殆んど言わない。

時おり言葉当たりがキツくて
泣きそうになるほどだ。

でも不思議だが、その先生に時々
頑張れたことやできたこと、やろうと前向きになっているという話をすると

それはまた柔らかな雰囲気で
優しく笑ってくれる。

それがなんだか担任に誉められた小学生のように嬉しくなるのだ。

大の大人に向かって

「よく頑張りました」

なんて、普通に聞くといらっとしそうだが誉めてもらえると嬉しくて仕方ないのだ。

何か次にきたときも報告できるよう材料を探したりする自分がいる。
もはや、気持ち悪い世界(T-T)

そんな主治医とは紆余曲折ありながらも
今は全幅の信頼を置いている。

私は内気でコミュニケーションが下手くそだ。人見知りで友達もいない。

人の言葉に傷つくたび自信をなくし
エグエグ言っていると

人間関係というのは私はないものだと思うと言った。

人間関係がうまくいかなくて苦しんでいる人がたくさんいるが私の考えでは
軸を自分にせず周りや他人に合わせているから不安になり苦労すると思うと。

私はわたし。そう、思っていたら
他者が何を言おうと自分軸で生きていれば気にならない。

ふーん、あなたはそう思うんだね、でいいじゃないか。

合わせる必要も、機嫌をとる必要もない。そもそも相手の腹のうちなどわからないのに機嫌のとりようなどない。

何を思い考えているかもわからないのに
その、相手の心中を想像しても無意味で
それで勝手に傷つくのは不毛で

例えば自分の発言で相手が嫌な顔をしたとする。普通なら自分の発言で気分を悪くしたのかもしれないと思う。
そこから負のループがはじまってしまう。

相手はもしかするとその通り自分の発言で気分を害したのかもしれない。
けれどたまたま虫の居所が悪く
誰が何をどう言おうとムカついている時なら悩む意味がない。

そんなの相手に聞いてみなきゃわからないじゃない!と思う。
それが人間関係を、自分からややこしくしてしまう。

聞かないとわからないからと不安になり自分のせいで人を傷つけたと思い
自分なんて喋らなきゃいいんだ、とか思い込んでしまう。

だからわからないよね、そんなの。

相手が何にムカついているのか。

私になのか、発言でなのか、元々なのか、あるいはなんだかこの人嫌いなのよねみたいなところから始まっていることもある。

わからないことを悩んで
人間関係につまずいたという。
それは勘違いというものよと。

あくまでこれは私の主治医の見解であるが、私はこれを聞いてから
嫌われてもいい、ハブられてもいい、
そんなのどうでもいいと思えてきている。

私はわたしだから、嫌いなら
それは仕方ないよね。

一番大切にしないといけないのは
自分自身。

一生つきあうのも自分。

人生のなかでたまたま出会った人に
心を砕かれる暇はない。

その人が私になにをしてくれるのか?

ワタシのことは私が大事にしないで誰がしてくれるの?

少しずつだけど思えてきたことで
変われそうな気がしている。